【小説版】ビブリオちゃんは薦めたい 第1話⑤

ビブリオちゃんは薦めたい オリジナル小説

第1話 百鬼夜行シリーズ 著:京極夏彦 ⑤

 翌日――

 奈那子はひとり、教室の片隅で本を読んでいた。

 それはいつものことだが、他の様子がすこし違っている。彼女のふたつ前の席に悠太郎の姿がないのだ。いままで欠席したことなんてあっただろうか。すくなくとも奈那子の記憶にはない。

 クラスの男子も連絡していたがつながらないようだ。だが事故や病気なら保護者から連絡があるだろう。おおかた彼女とどこかでさぼっているのではないかなどと、ちょっとしたスキャンダルにわいている。心配しているわけではなく、勝手なストーリーをでっち上げて楽しんでいるだけなのだ。真偽のほどは知れないのに観客とはかくもいい加減なものである。

 だがそれは奈那子も似たようなものだ。

 昨日起きた奇跡が今日も続くのではないかと期待を秘めて登校してきたものだから、よけいにいらぬ想像が巡ってしまう。いやでもまわりの噂話に引きずられ、小説を読んでいてもまったく集中できない。現実にいても、いなくても、悠太郎はつねに奈那子のなかに存在しているのだ。

 奈那子はページをめくる手をとめ、ため息をつく。

 あれから悠太郎は読んでくれただろうか。

 ラブレターでも渡したかのような言いぐさだが、小説のことである。奈那子にとっては同じくらいの気持ちで貸し出したわけだけど、だかといってかならず読んでくれるとはかぎらない。すこしくらいは目を通したかもしれないが、すぐに飽きて放りだしていても文句はいえない。

 感想はそのひとだけのもの。

 反応を期待するほうが間違っているのだ。

 とっく12時の鐘は鳴り終えて、魔法はすっかり解けている。時計の針は機械的に進んでいき、お伽噺は現実に取って代わったのだ。ならばいつものルーチンに戻るだけのこと。大人になるとはそういうことだ。

 自分にそう言い聞かせて本を閉じる。

 だが、帰りのホームルームが終わり、図書室へ向かおうと席を立とうとしたそのとき、教室の扉が慌ただしく開いた。先生が戻ってきたのかと思ったが、しかしそこに立っていたのは悠太郎だった。

「本田さんいる?」

 教室に飛び込んでくるや開口一番奈那子の名を呼ぶ。そして静かなビブリオマニアを見つけると、声をかけてくる他のクラスメイトには目もくれず、一直線に向かってきた。

 何事かとクラスじゅうがざわめく。

「栞君……?」

 奈那子もとまどった。

 ずっと走ってきたのだろう、悠太郎は汗をかき、肩で息をしている。顔色もよくない。ただならぬ雰囲気だ。

 悠太郎は顔をあげ、大きく息を吸う。それから、からだを強張らせて身構える奈那子の前で本を取り出した。

「すげえ、すげえよ本田さん、この小説! すっげえおもしろかった!」

 そう言って破顔しながら手にしていたのは『姑獲鳥の夏』だ。衆目を集めるなかでもまったく気にするそぶりを見せず、悠太郎は饒舌にまくしたてる。

「帰ってからすぐに読み始めたんだけど、あんまりおもしろくてつい完徹しちゃったぜ!」

「……もしかして、いままでずっと読んでいたの?」

「うん、それでもけっきょく一作目しか読み終えてないけど……やっぱり一夜でぜんぶ読むのは無理だな!」

 ほんとうに一睡もしていないのだろう。眼の下にクマをつくっているが、テンションがやけに高い。はやく読む必要はないが、とにかく読んでくれているのであれば奈那子としてはこれ以上の望みはない。

「って本田さん聞いてる?」

「心配しないで、ちゃんと聞いてるから。好きなだけ続けていいわよ」

 興奮しながら感想を綴る悠太郎の声をBGMにして、奈那子は粛々と別の世界へ入っていく。

「そう? それじゃあ遠慮なく」

 悠太郎もかまわず思いの丈をぶつけてくる。嗚呼――

 なんて読書は孤独な作業なのだろう。

 文字は幻で、いくら言葉を交わしてみてもわかり合えるものではないのだ。悠太郎の感想は「すげえ!」だとか「やべえ!」だとか、語彙力もなにもあったものではない。きっと、彼のなかで花開いた文字の世界は、奈那子のそれとは違うのだろう。

 それでも。

 私の好きなひとが私の好きな本を好きだと言っている。

 感動していることはじゅうぶんに伝わってくる。

 たとえそれが夢幻だとしても、わかり合えた気になれることはとても幸せなことだと奈那子は思う。奈那子自身を好きになってくれたわけではなくとも、我が事のようにうれしいと思う。

 だから「このシリーズぜんぶ読み終わったらさ、また本田さんのお薦めを教えてくれないかな?」と乞う悠太郎のリクエストに応じ、奈那子は読みかけの物語に栞を挟む。

 そして教室では見せたことのない、とびきりの笑顔を片思いのひとに向けて言った。

「よろこんで」と。

第1話 了

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