【小説版】ビブリオちゃんは薦めたい 第1話④

ビブリオちゃんは薦めたい オリジナル小説

第1話 百鬼夜行シリーズ 著:京極夏彦 ④

 小説を読んでいるとたまにお薦めを聞かれることがある。

 読書感想文というか、レビューをまとめているサイトがあることも知っている。

 そのことで奈那子はつねづね疑問に思っていた。ひとはなぜ他人の評価を知りたがるのだろうかと。そしてこの問題について自分なりの仮説を立てている。

 結論からいうと、小説は伝わりにくいコンテンツだからだ。

 映像や音楽ならばたれ流しでも視聴者に届く。マンガなら絵を見るだけでもだいたい理解できる。これらのコンテンツは視覚や聴覚への刺激が強く、情報量も多いため、直感的に訴えられるからだ。

 だが一方で、小説をはじめとする活字のコンテンツは、受け手に読もうという意志がなければ絶対に伝わらない。どんなに名作であっても能動的に紐解かれなければ世に出ることはないのだ。

 しかも小説は、読了してからでなければ真の評価をくだすことができない。もちろん、とちゅうで飽きてしまうようなら、そのていどの作品といえなくもないが……一作を読み終えるにはどうしても一定の時間がかかる。

 長編になるほどそのコストはかさむし、ハズレを引きたくないという心理が働いてしまうのだろう。そこで他人の感想やレビューを参考にすれば、あるていど作品の良し悪しを推し測ることができ、時間的コストの削減につながるというわけだ。

 忙しい現代人からすれば合理的といえるのだろうが、しかし奈那子はこの風潮がどうにも気にいらない。

 時間をかけたくないという気持ちもわからないではないけれど、話題についていきたいがために、あらすじだけを調べて読んだフリをするというはいかがなものか。さらには進んでネタバレしてほしいと願うひとまでいるというのだから目も当てられない。

 本来、読書は個人的な行為だったはずだ。

 奈那子がおもしろいと思っても、悠太郎が同じように感じる保証はどこにもない。たとえ薦めた作品を読んでくれたとしても、同じ感想を持つとはかぎらないのである。いや、百人が読めば百通りの感想があるといっても過言ではない。

 なぜなら小説は、読者のなかで育まれるものだからだ。

 どんなに作者が良い種を蒔いても、土壌や気候が違えば結果は異なる。大輪を咲かせることもあれば芽が出ずに枯れてしまうこともあるだろう。

 なかには奇書と呼ばれる本や衒学的で難解な書もあるし、わかるひとにだけ伝わればいいという前提で創られた作品もある。これらを読み解こうと思えば、読者にも一定の読解力や感受性あるいは教養といったものがどうしても求められてしまう。

 たとえ大衆向けの娯楽小説であったとしても、それは変わらない。やはり最低限の読解力は必要になる。我々日本人は当たり前のように母国語を話し、読み書きしているけれど、文字は送り手と受け手の両者に共通の認識があってはじめて成立するのだ。

 このあたりの事情は人間同士のコミュニケーションと考えればわかりやすいだろう。相手が現在話しているひとの言葉ではなく、過去に記された文字に変わったというだけだ。

 だから、もしも小説の醍醐味を味わいたいと望むのであれば、時間をかけて自らの目で文字を追いかけ、五感を使ってフルに使って感情移入し、舞台を頭のなかで想像し、視点となるキャラクターに寄り添わなければならない。それができれば文字は、たんなる記号ではなく、躍動するキャラクターとなり、物語の世界へと導いてくれるだろう。

 ひとは現実に存在しないものをあたかも在るように錯覚することができる。

 ここでいう錯覚とはつまり、物語のことである。

 物語は、現実に存在しているわけではない。

 作者が連ねた文字を読者が頭のなかで再構築した幻であり、したがって感想は一人ひとり違っていて当然なのだ。

 同じひとが読んだとしても、条件が異なれば印象が変わることだってある。いわんや他人のレビューなんて当てにできるはずがない。感想を共有することはできても感動をともにすることはほとんど不可能に近いといっていいだろう。たとえわかり合えたような気がしても、それはやはり幻想にすぎないのだ。

 ひとはみんな、誰もが孤独であるように。

 読書はひとりで行う行為なのである。

 自分で読んで、自分で確かめる。悪戦苦闘の末に新たな知見と出会ってこそ、感動できるというものではなかったのか。他人にお薦めされなければ読めないのであれば、無理をして読む必要なんてない。

 そんなふうに奈那子は考えている。

 だけど――

「それでもなお、私にお薦めされたいというのであれば!」

 一瞬の賢者モードから脱するや、奈那子はそう言い残し、くるりとスカートをはためかせる。

 バタバタと音をたてて奥の棚へと駆けていったかと思うと、すぐさま戻ってきた。

 そのちいさな両手には余るくらいたくさんの本を抱えて。

 悠太郎にぶつかる寸前で急ブレーキをかけ、そのままの勢いで顔をあげる。メガネの奥の眼光は不敵にも笑っている。教室では見せたことのない、自信に溢れた表情だ。

 奈那子は抱えた本の束を差し出し、言い放つ。

「私はこの『百鬼夜行シリーズ』をお薦めしよう!」

「うお、何それ!?」悠太郎が驚いた。

 奈那子の豹変ぶりに気圧されたのではなく、大量の本に面食らったのだろう。しかも一冊ごとが非常に分厚い。彼が「辞書?」とつぶやいたのを奈那子は聞き逃さなかった。

「辞書じゃないし、鈍器でもない。百鬼夜行シリーズは1996年に講談社から刊行された京極夏彦のデビュー作である『姑獲鳥の夏』から始まる長編ミステリーよ」

 さらに『魍魎の匣』・『狂骨の夢』・『鉄鼠の檻』・『絡新婦の理』・『塗仏の宴~宴の支度~』・『塗仏の宴~宴の始末~』・『陰摩羅鬼の瑕』、そして『邪魅の雫』の九作で構成されているシリーズだ。次に『鵺の礎』が続く予定だが、2020年現在でもいまだ出版には至っていない。

「ミステリーっていうと殺人が起きて探偵がトリックや謎を解き明かすんだよね?」

「必ず殺人が起きるわけじゃないけれど……おおむねその認識であっているわ。だけどこのシリーズはそれだけじゃない。なんていうのかしら、これが刊行される以前の、従来的なミステリーのお約束にはなかった、謎を解く手法が斬新なの」

「その手法というのは?」

「ネタバレになるから言えないわ。そこは自分で読んでたしかめないと」

 とはいえ、誰であっても自信を持って薦められる作品だが、これだけの大長編である。一朝一夕で読める代物ではない。レンガ本と揶揄されるほど一作のボリュームがえげつないため、ふだんから読書をしているひとでも腰が引けるだろう。

 それでも奈那子はこれを薦めたかった。

 今では自他ともに認めるビブリオマニアであり、活字であればなんでも読む習性が身についている奈那子ではあるけれど、誰もがみんなそうなることを期待しているわけでない。

 ただ、短い人生で読める作品の数は限られている。

 ならばできるだけ早い段階で良い作品に触れてもらいたい。

 それがその読者の指向性を決定づけるからだ。

 奈那子もこのシリーズによって、これまで持っていた世界観や固定観念が覆され、ビブリオマニアとして本格的に覚醒するきっかけとなったし、多大な影響を受けた。

 異常なまでのリーダビリティと豊富な知識、そしてなによりも、おもしろいストーリー展開に一度読みはじめたらページをめくる手がとまらなくなるだろう。奈那子も夜通し読みふけってしまい、連日睡眠不足に陥ったものだ。

 この愛すべきクラスメイトがなぜ小説に興味を持ったのかはわからないが、悠太郎にも同じ感動や興奮を味わってもらいたい。同じように驚き、同じように好きになってもらいたい。

 たとえそれが淡い恋心のような幻想だとしても。

 願うくらいは許されるはずだ。

 そう思いつつも奈那子は、胸に秘めた想いが裏切られることを恐れて顔を伏せる。

 悠太郎は、すくなくとも奈那子が観察するかぎりでは本を読まない。そこへいきなりこんな大作を紹介しては引いてしまうかもしれない。いや、きっとそうなるだろう。奈那子はあきらめまじりでため息をつく。しかし――

「すげえ、さすが本田さん!」

 歓声をあげ、喰い入るように悠太郎が本を見つめる。爛々とかがやく視線の先にあるのは件の百鬼夜行シリーズだが、その延長線上に奈那子もいるので、結果としてふたりは顔がくっつきそうなくらいに接近していた。

「本田さん、これぜんぶ読んでるんだよね?」悠太郎はさらに詰め寄り、きいてくる。

「え、ええ……」

「じつは俺もこういう本格的な小説を読んでみたかったんだけどさ、なかなか手が出せなかったんだよ。だけど本田さんのお薦めなら絶対間違いないよな?」

「そ、それはもちろん……」

 太鼓判を押したいところだが、どんな名作であろうと全員に受け入れられるわけではないことは先刻承知のとおりだ。抱く感想はひとそれぞれである。絶対なんて言われるととたんに自信がなくなってしまう。

 そのあたりをどう説明しよう考える暇もなく悠太郎の手がのびる。

「それじゃあさっそく借りよう」

 そう言って本といっしょに奈那子の両手を包みこんだ。

「あ……」

 触れられた瞬間、魔法がかかったように奈那子の時間がとまる。

 そしてそれは、悠太郎が本を借りていくと同時にまた動きだす。

 こうして奈那子と悠太郎の邂逅は無事に果たされた。

 思考がフリーズしている間に素っ頓狂な奇声をあげてしまったこと以外はだが。

コメント

タイトルとURLをコピーしました