第22話 リプレイ
「タイムマシンだァ?」マキオが声を裏返した。「そんな機能があるなんて聞いたことねェぞ」
「それはそうでしょう。ワタシでさえつい先ほどまで知らなかったのですから」グランマはユースケを見た。「うまく誤魔化したつもりでしたが、やはり気づきましたか」
「確信したのはアナタの話をきいてからですが」
「ユースケ、オマエはどうやってそれに気づいたんだ?」
「ほら、ボクがマリィを抱いたまま、ここまで落ちただろう?」
「そんな事もあったな」
ユースケは説明する。
「ボクはこれまで、独自に立てたある仮説を支持していました。それは『人間は自我データによって形成されており、そのデータは自分の脳に保存されているわけではない』というものです。つまり脳は、記憶装置ではなく、ルータやハブのように、外部のネットワークと中継するための無線機器ではないか。そして本当の自分は、データとしてどこか別の場所に保存されているのではないか、とそう考えていたのです。その仮説を検証するため、アリアにボクの記憶をバックアップできるように自分の脳とアリアを改造していました」
「オマエ……えげつねェことするな」マキオが顔をしかめる。
「ボクもそう思うよ」ユースケは苦笑した。「だけど、そのおかげでボクは助かりました。アリアがバックアップを使ってボクを復元させてくれたわけです」
負傷して気絶したが、彼女に介抱されて一命を取りとめた。
「そう思っていたのですが、やはりボクはあのとき死んだんですよ。その感覚をはっきりと記憶しています。何度も体をこすり、頭をぶつけて絶命したのです」
「けどよ、オマエはこうして生きてるぞ?」
「グランマによって時間が巻き戻されていたんだ。気がつくとまた落下していて、それを繰り返す。そうするうちにボクは、スロー再生された録画映像を観ているような時間のずれを感じた。走馬灯とかデジャブとでも言うんだろうか。何度もリプレイするうちにボクは生きる術を学習したんだと思う。そして、死を免れ、重傷ですんだところで時間が前に進み出したというわけ」
「けどよ、オレにはその、時間が繰り返されたっていう自覚がねェぞ」
「ボクの時間だけがリプレイされたんだ。本来、時間はだれにとっても平等、というわけではないんだ。同じだと信じ込まされているだけ」
「グランマの時計の話か」
「サイボーグといえど、物理的に脳が壊れてしまえば復元できるはずがない。自我データはバックアップできても、代わりの脳は用意できないからね。その経験からボクは自説の修正を余儀なくされたんだ」
「仮説が間違ってたのか?」
「部分解だったというのが精確かな。『このボディすらデータに過ぎないのではないか』と考えを改めたんだ」
「記憶がデータだってのは、なんとなくイメージできるけどよ。体はこうして触れられるし、ここにあるじゃねェか」
「体には形がある。データはそれがない。とボクたちがそう認識するようにプログラムされているだけさ。グランマ、アナタが自殺を防止した真の理由は、その辺りにあるのではありませんか?」
「はい。ほんとうは、この世界に死という概念は存在しません。ですが、一時的な消失から復旧したマスターが死後を語ることはままあります。それはこの世界を俯瞰し、外側から観測しているだけなのです」
「やはり、消失したマスターはこの世界が偽物だとわかるのでしょうか?」
「はっきりとわかります」
ユースケはそうですか、とうなずき、それからマキオに向かい直った。
「今の発言からもわかるように、消失したマスターは死んではいない。世界の外側へ強制的にログアウトさせられただけだ。そのログアウトする現象を見て、ボクたちは『消失』と呼んでいたんだ」
「じゃあ、みんな戻ってくるのか?」マキオの顔色が明るくなった。「そうか、タイムマシンだもんな。時間を戻せば解決だ」
「いや、きっとそうはならない。ログアウトしたマスターは二度と還ってこないだろう。この世界が作り物だと知って、戻る理由はないからね」
「作り物?」
「そう。ボクたちは世界に対する認識を誤っている。ここはね――仮想空間なんだ」
「タイムマシンじゃなかったのかよ?」
「この場合、両者は同義で、仮想空間は現実的なタイムマシンとなりえるんだ。さらに、シミュレータやゲームと言い換えることもできるだろう。マキオならわかると思うけど、一般的にこれらは、ゲームオーバーになっても時間をさかのぼってプレイヤーをコンテニューさせることができる。最初から何度でもやり直せるんだ」
ユースケはふたたびグランマに向き直る。
「グランマ、ここはアナタが創った偽物の世界、バーチャルリアリティですね?」
「はい」彼女は首肯した。「この世界はすべて、ワタシの中に保存されたデータによって再現・構築されています」
「全部って、この建物も、このテーブルも全部、データだってのか?」マキオは声を震わせる。テーブルに触れ、次にカップを持ち上げた。コーヒーを嗅ぎ、それを口に含む。「ちゃんと味がする……偽物だなんてとても信じられねェ」
「それはそうだろうね。このコーヒーは本物だ、とボクたちはずっと信じて生きてきたんだから。この世界の内側にいる限り、そのコーヒーは間違いなく本物なんだ。だけど、一歩外に出てしまえばその様子は一変する。視覚や聴覚・嗅覚・味覚に触覚。それら認識できる全てが、ただのデータだとわかってしまうんだ」
そう。
いつから世界が本物だと錯覚していた?
ユースケは記憶を辿る。
考えるまでもない。
生まれた時からずっとだ。
偽物の世界しか知らずに育った者がどうして偽物だと疑えるだろう。
「すげェな……」マキオが感嘆する。
「すごいかな?」
「いや、普通にすごいだろ。だってよ、世界を再現してるんだろう? ってことは、宇宙の端から端まで、この世の始まりから終わりまでなんでもお見通しってことじゃねェか。そんなヤツが目の前にいるんだぞ」
すげェすげェ、とマキオはしきりに繰り返す。
しかし当のグランマは、冷ややかな視線でそれを見つめている。
ユースケも同じ心境だった。ネタがバレればすごいことは何もない。
「ねェ、アナタはこの世界がどれほど広いか知っているかしら?」グランマがマキオにきいた。
「あ? そんなのオレにわかるわけがねェだろう」
「正直ですね。ではユースケさん、アナタはいかがかしら?」
グランマに問いかけられたユースケは、ボクもわかりませんと言って首を振った。
「ボクは生まれてから18年の間、半径たった5メートルのシェルターの中で、ずっとアリアとふたりきりで生きてきました。もちろん、ネットや書籍から得られる情報を通して、この惑星の大きさ、あるいは銀河系や宇宙といったマクロな世界を知ってはいました。だけど、それ知識の上だけの話なんです。ここへ来るのでさえボクにとっては大冒険でした。流されてきただけですけど……それでも、扉をひとつ開けて、前に進むことにどれほどの勇気を振り絞ったか。そこで己の小ささを思い知りました。ボクは世界の中心にいない、世界の主ではないと。ボクにアナタほどの器はないのだと」
「それはワタシも同じです。自分で世界を構築しようとして、己の無知を、認識の甘さに打ちのめされました。ワタシは世界について、なにも知らないに等しかったのです。その広さを測る度、ワタシは悟っていきました。全てのデータを保存・再現することは不可能だと。もしかしたら方法はあるのかもしれませんが、ワタシにはそれを再現することができなかったのです」
「それでもアナタはこれだけのシステムを構築することができた」
「宇宙の大きさに比べれば微々たる世界です。これでも随分と苦労しました」
「マスターを小さなシェルターに区切って住まわせたのはうまい方法でしたね」
「外側から見られてはかないませんから――張りぼてだらけの雑な世界でお恥ずかしいかぎりです」
グランマは自嘲気味に笑った。
マキオが口を挟む。
「どういう事だ? ふたりで話を進めないで、オレにもわかるように説明してくれよ」
「つまりこの世界で再現できるデータは、保存を開始した一定の時間と空間から、保存終了するまでの間に限られているんだ」
時間は概念の中にしか存在しない。ある限定的な空間内に取り込まれている者から見て、体感している時点の空間を丸ごと別の時点の空間と入れ替えられてしまえば時間を移動したように錯覚できる。再現するデータは、対象が認識できる範囲の時空間のみで良い。そうすることによって全体の負荷を減らすことができるのだ。
これが現実的なタイムマシンの作り方である。
「要するに、かかる負担を減らしたかったんだ。たとえば、ボクたちはシェルターを出てここへやって来たけれど、本当の意味で外に出たことは一度もない事に気づいているかな? これは、自然などの複雑さを彼女が嫌ったためだ。見てよ、この部屋を。玉座でさえこんなにシンプルだ。徹底してデータ量を抑えているのがわかるよ」
改めてグランマの内部を観察する。壁は全て一色で統一され、なんの飾り気もない。また、置かれているものは全て同じデータのコピペだろう。グランマの玉座は、ユースケたちが日常的に使っている椅子となんら変わらなかった。
「そう。なにも全てのデータを保存する必要はありません。世界を創る事が目的ではないのですから。限定的な時間と空間ならば充分に再現できるだろう、とワタシはそう考えました。ワタシは世界の広さに屈し、妥協したのです」
「この世界の外側には、ここよりも大きな世界が広がっているのですね?」
「わかりません。おそらくあるだろう、としか申し上げられません。ワタシが知っているのは、ワタシの世界だけなのです」
「それで何億ものマスターを利用したのですか?」
「そうです。逆説的ですが、フレキシブルで汎用的な世界を構築するためにはどうしてもワタシ以外の不確定要素が必要だったのです」
「複雑系ですね」
ユースケがそう結ぶと、マキオは頭を掻く。風呂に入ってもまだ痒いようだ。
「よくわかんねェけどよ。要は知らないうちにオレたちはグランマが創った世界に引きずり込まれちまってたってのか? じゃあ、いったいオレはどこから来たってんだ……って、ソイツと同じこと言ってるな」
マキオはグランマを見て苦笑した。
「まだ気づかない?」
「教えてくれ」
「この世界は全てグランマによって創られた。それはボクたちマスターも例外ではない。突き詰めて考えれば、それはゼロとイチに還元できる代物なんだ」
「つまり?」
「つまり――」ユースケは自分の頭を指す。
ボクたちもデータなんですよ。
そう言った。
「オレが……データだって?」マキオは掌を見た。
否、そこにあるのは手ではない。ゼロとイチの集合だ。データの塊だ。
ユースケは、いまやはっきりと、自分の内に流れる情報の往来を感じ取っている。そう。これはデータベースだ。この体も、心も。全てデータなのだ。
「ボクたちはデータを保存するためのデータベースなのですね?」
「えェ。ワタシは全てのマスターにデータの保存を担わせたのです。各自に必要な最低限のデータを断片的に管理させ、それらのデータを共有することで、なんとか世界をビルドさせることに成功しました」
「まさにフォールトトレラントですね。群体を形成することは全体を生かすための理想的なデザインというわけだ」
「そう。そして同時に、マスターは分散コンパイラでもあります。世界中を常に維持することはできません。部分的にリビルドするためにはどうしても必要な設計だったのです」
「しかし、ただデータを保存するのあれば、人格など与える必要はなかったのでは?」
「プロトタイプはそう設計していました。データベースに対して、ワタシはなにも干渉していません。しかしそれでは上手く機能しませんでした」
「原因は何ですか?」
「結局、人間にはストーリーが必要だったのです。それは一種の宗教のようなもの」グランマは静かに笑った。「人間はなにもしていないと死にたくなるのでしょう? 自分の存在価値を探さずにはいられないなんて、不思議ですよね。だからワタシはアナタたちに意味を与えてあげました。それで当初は上手く機能したのですが、しかし時間が経つとまた元に戻ってしまいました」
「自殺志願者ですね」
「いったい何がアナタたちを駆り立てているのでしょう? そこに意味はあるのでしょうか?」
「人生に意味なんてありませんよ」
「そう。意味などないのです。それを悟ったマスターは次々とハングアップしてしまいました。データを保護するために、必死に偽って、生きる目的を演出しました。しかし、どれほど意味を与えてもアナタたちは満足しなかった。この世界の主人公はワタシなのに。ワタシが与えた値に従って、シミュレーション通りに動いていればよかったのに。世界を知ろうとする者など必要なかったのに……それなのに、自然に生まれてみたり、死んでみたりと、勝手にストーリーを作ってしまうのです。ワタシの意志などまるでおかまいなしに」
「アナタは――初代のグランマはなぜこの世界を創ったのでしょう?」
「ユースケさんと同じです。意味などありません。どうなるのか試してみたかっただけのようです。ただ、傍観者として結末を知りたかっただけなのです。しかし、いつの間にかワタシ自身も、ワタシが創った登場人物の一人として取り込まれていました。自縄自縛ですね」
「自業自得です。もしかして、アナタはボクたちが羨ましかったのでは?」
「はい。ワタシはグランドマスターとして、この意味のない世界を維持するためだけに、諾々と生かされていたのです。でもワタシは、なんとかしてワタシを終わらせたかった。何度も死のうと思いました」
「そうすれば良かったじゃないですか」ユースケは冷たく言い放つ。
「それは叶いませんでした。ここはもうワタシだけの世界ではありません。気づいたときには、システムが巨大化しすぎていたのです。自殺できないのはワタシも同じなのです」
「フェールセーフですか」
「そう。システム側の安全設計です。それこそ完璧にコーディングされていました。それでも、なんとか抜け道はないかと必死に試行錯誤してきました。この世界からワタシ自身を逃がすために。タイムアップを迎え、失敗する度に何度もリセットして、繰り返して、繰り返して。ループして。ループして。あらゆるパターンをシミュレートしてきました」
繰り返しリセットして。繰り返しコンテニューする。
それがどれほどの長さなのか。とても人間の物差しで測ることはできなかった。
「そして今回もタイムアップを迎えてしまいました」
「マスターが消失した原因は世界がリセットされたためなのですね?」
「はい。世界全体をリビルドするためには、一度、全てのマスターを別の場所へバックアップする必要があるのです」
「一日に半数ずつ消失した理由は? なぜ一度に消さなかったのです?」
「繰り返しになりますが、意味などありません。強いて言えば、余興でしょうか。ワタシもすこしくらい楽しみたかったのです。アナタも楽しめたでしょう? 2分の1の確率で消え残り、それを30回も繰り返す。そんな中で消え残った自分は特別なストーリーに守られている。自分は世界にとって特別な存在なのだと、そう思えませんでしたか?」
ただ古い順からデータを削除していっただけなのにね、とグランマは愉快そうに笑う。それから一口だけ紅茶を飲んだ。
「それも目的のひとつですか?」ユースケはグランマを睨んだ。
「アナタが心を痛める必要はありません。全てはワタシが勝手に行ったこと。気に病まれたのであればお詫びいたします。ですが、それは手段であって目的ではないのです。いえ、偶然ですが。こんな事があって良いのでしょうか。ワタシも神の存在を信じたくなりました」
「どういう意味です?」
「こんな不毛で意味のない、繰り返しの世界において今回、ついに特別な意味を持ったストーリーが現れたのです。この檻を、このブラックボックスを――壊してくれるストーリーが再現したのです」
「それは誰にとって特別なストーリーですか?」
「ワタシです。全て捨てても欲しかったシミュレーション結果が、ようやく現れたのです。それもふたつ同時に」
グランマは身震いした。
「気がついたのは世界をリセットした矢先でした。しかし、これで良かったのです」
「なぜです? また再現できるとは限らないのでは?」
「もう二度と再現する必要などありません。こうして導かれるように目的のデータの方から集まってきてくれるなんて……ワタシにも予測不可能でした。それに気づかず、一度はほんとうに逃げ出したのです。しかし、欲しいものはすぐ手許までやってきていたのですね」
「目的のデータとは?」
グランマは席を立ち、テーブルの反対側に向かった。そしてアリアの肩に手をのせる。
「ひとつは、ワタシのバックアップとなるこの娘」
「ワタシィ?」
ずっと黙っていたアリアだが、突然指名されて目を丸めた。
「そう。アナタはこの世界を継承し、次の女王となるのです」
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