第21話 世界は思い込みでできている
グランマが戻ってきた。
トレイにカップを3つ乗せている。
グランマは、ユースケとマキオの前に、それぞれグリーンティーとコーヒーを置く。
豆を煎じた芳ばしい香りと、新緑の清々しい香りがした。
「良い匂いですね」
「この日の為に取っておいたの」
グランマはテーブルを迂回し、玉座の前に立つ。
そして残りのグリーンティーを差しだした。
目の前の玉座にはアリアが座っている。
ユースケが座らせたのだ。
「ユースケェ」困った顔をしてアリアがユースケに視線を送る。
「そのまま座っていなさい」
立ち上がろうとするアリアをグランマが制した。
そしてまたテーブルを避けて歩く。
ユースケの左隣、アリアが座っていた椅子に腰をおろした。
足を組み、ユースケの方へ身を傾ける。胸に手を当て、すこしだけ息を弾ませた。
「人と直接会話を交わすのはひさしぶりなので緊張しますが……さて、なにからお話ししましょう」
「こうしてお会いするのは二度目……17年と363日、1時間21分47秒ぶりでしょうか」
「いいえ。前回からは17年と364日、1時間21分47秒経過しておりますわ。アナタは憶えてらっしゃらないでしょうが、何度もお話ししていますのよ」グランマは続ける。「まず、さきほどの問いに答えてくださらないかしら?」
「承知しました」
なぜグランマの居場所がわかったのか。その答えについてユースケは語る。
「最初に違和感を覚えたのはリンのある不自然な行動です」
「リンちゃんの行動?」アリアは首を傾げる。
「そう。これを見て」
ユースケはポケットを叩いた。
かすかな光を放ち、マリィのケータイが展開される。
画面を操作し、アドレス帳を開く。
「へェ。ユースケってば、彼女のケータイ勝手に覗いちゃう人なんだァ」
「茶化すなって」
「どれどれ……」
言いつつアリアはテーブル越しに、興味津々といった感じでケータイを覗き込む。しばらく眺めた後彼女は異変に気がついた。
「うん? このケータイのアドレス帳、1件も登録されてないけど……」
「な。変だろ?」
「変なのかなァ?」
「変なんだよ」
「変と言えば変な気もするけど。なにが変なのかわかんないよゥ」
「憶えてるだろう? ボクが『人間にはストーリーが必要だ』って言ったこと」
「うん」
「なら、リンの立場で考えてみてよ」
「リンちゃんの?」
「彼女、リアルでは友達がいないタイプだったと思わない?」
「うーん……」アリアは指を唇にあてながら天井を見上げる。「まァ、お人形さんを擬人化しちゃうくらいだしねェ。そうなんだろうねェ……」
「擬人化したものが人形だろう」マキオがつっこむ。彼も頭を掻きながら考えているようだ。「だけどよ、操り人形だったとしても、マリィが人形であることに変わりねェだろう」
「もちろん、自律していないただの人形であるマリィが、自分の意志でケータイを操作し、アドレスを登録することはできない。それでもリンの視点から見た世界では、マリィはリアルな友達として存在していた。これでは物語の整合性が取れない」
「ストーリーが破綻しちゃってるねェ」
「このままでは物語の信憑性が欠けてしまう。じゃあ、ストーリーにリアリティを出すためにはどうすればいいだろう?」
「えっとォ……ワタシがリンちゃんなら、ケータイを操作して、自分で自分のアドレスを登録しちゃうかなァ?」
「そう。つまり自演すればいいわけだ」
「でもよ、それってマリィが本物じゃないって自覚してるわけだろう? 設定がすでに破綻してるじゃねェか」
自演というアイディアにマキオが異を唱えた。
ユースケはそれに反論する。
「さらに設定を追加すればいいんですよ。つまり、マリィが本物の人間で、マリィが自分でケータイアドレスに登録した。リンはそこまでストーリーを創って、自分に信じ込ませていたんじゃないかな」
「そんな都合よく信じ込めるもんか?」
「人間誰だってご都合主義なところがあるんだよ。アプリオリを盲目的に信じるようにね。ほら、リンはマキオを無視していただろう?」
「そうだな」
「リンは『自分の世界にマキオという登場人物は存在しないという設定を付け足した』んだよ」
「なんだか嘘で塗り固めてる感じがするぞ」
「嘘か真実かなんて、この際関係ないんだ。彼女にとってなにが真実だったかなんて、他人にはわからないわけだし……もしかしたら、本人でさえ区別できていなかったかもしれない。脳は現実を錯覚もするし、誤解もする。意図的に捻じ曲げもするんだ」
ストーリーを語ることはある意味で宗教に近い。
自分が語る世界をどれだけ他人に信じさせられるかが鍵となる。未だ見ぬ現実を再現させるためにはまず、己を騙し、物語に自身を組み込まなければならない。自分が信じられないものを他人に信じさせることなど不可能だからだ。リンがマリィをリアルな友達だと信じて疑っていないのなら、この状況に至らないはずがない。
「リンは嘘を吐いている感じがしなかった。自分が吐いている嘘をどこまで自覚していたのかは不明だけど、どうやって整合性を保っていたのか、そこが不思議だったんだ」
「どうやってたんだ?」
「どうもこうもないよ。リンは本当にマリィの声が聞こえていたんだ。これを使ってね」
ユースケはマリィの喉元を示す。
「ラジオってやつか?」
「そう。ケータイもそうだけど、インターネットが台頭したせいで廃れちゃったけどね。使用されているダイオードは、ダイアルを調節することで特定の周波数を受信して音に変換する機能を持っているんだ。これを使うことでリンとマリの会話は成立していたんだ。ただし、音源はケータイからではなく、マリィ本体から発信されていたわけだけど」
発信する者と受信する者の波長が合わなければ電波を音として認識することはできない。しかし、認識できないからといって存在しないわけではない。電波は人が生活するあらゆる場所で飛び交っている。そのことに気がついていないだけなのだ。
「そう。グランマはずっと声を発していたんだ」
「嘘つけッ。全然聞こえなかったぞ!」
「嘘じゃないよ。現にアリア」ユースケはアリアの方を向く。「アリアにはマリィの声が聞こえてたんだな?」
「聞こえてたよゥ」アリアがうなずいた。「その声がマリィちゃんのじゃなくて、グランマさんのだったとは思わなかったけど……ユースケたちには本当に聞こえてなかったんだねェ」
「受信機能がないわけじゃないんだ。なにも聞き取れなかったのは、ただボクが聞く耳を持っていなかっただけなんだ。おそらくレッドは聞こえてたんじゃないかな」
「それじゃアイツ、知ってて黙ってたのか?」
「彼はグランマに心酔していましたから。壊したくなかったんでしょうね、この世界を」
「てっきり無視してるのかと思ったよゥ」
「アリアは、ボクたちが意地悪をして、聞いていない、あるいは聞こえない振りをしてると認識してたんだね。グランマがいる事を報せてくれていたのに。ボクが普段からちゃんとアリアの話を聞いてあげていればリンの自殺は防げたかもしれない……それが無念だよ」
「リンちゃんはやっぱり自殺だったのォ?」
「そう。自殺だったんだよ」
「だけどマスターは自殺できないんでしょう?」
「チップが付いている限りはね」
「どういう事ォ?」
「つまりね――」ユースケは左手をかざす。チップが発光した。「グランマの支配下にいる限りは自殺できないってこと。ただ、一定の自傷行為は可能なんだよ。彼女はきっと、致命傷を負う前にこれを外してしまったんだね」
「できるものなのかなァ?」
「近いことをボクがやってみせたじゃないか」
「あァ……フールプルーフ」
――人間は道具を思わぬ使い方をするものだ。
「なにがなんでも傷つけられないようにすれば良いのにィ」
「そうするとセックスができなくなってしまう。それは種を保存する為に必要な行為だ。出産は放棄したのに……変な話だよね。小さな自傷行為は快楽として残っているんだ」
「へェ、そうなんだ。知らなかったよゥ」
まじまじと見つめるアリアと視線が合う。
ユースケは赤面し、それから咳払いをした。一息ついてからグランマに確認する。
「とにかく。リンが具体的にどうやって自殺したのかわかりませんが、やはり安全設計に問題があったんじゃないでしょうか。いかがです?」
「いいえ」グランマは首を振った。「たしかに、リンは自ら命を絶ちました。しかしそれは安全設計に不備があったからではありません」
「完璧だったとおっしゃるのですか?」
「アナタの行動は予想外でしたけれど。そうではなく、ワタシが彼女に自殺するよう命じたのです」
「なぜリンを自殺に追い込んだのですか?」
「それは、リンがワタシの管理者だったからです」
「えェ! 彼女が?」
世界を管理していた者。最上級エンジニア。
「彼女、最初からここにいましたでしょう?」
「そう言われれば、そうだったような……」
ユースケはぼんやりとした記憶を辿る。ユースケより先にいたことは、たしかだった。
マキオも宙を眺めて思い出しているようだ。
「けどアイツ、オレたちとたいして年齢変わらなかったはずだぞ」
「彼女は歴代の管理者の中でもトップクラスの頭脳の持ち主でした」
「その管理者を何故、殺す必要があったのです?」
ユースケが再び問う。
「それは、リンがワタシがここから出る事を反対したためです。リンは束縛が強く、ワタシを放そうとしませんでした。『自分は親友なのだ』と思い込んでいたのです。リンはワタシの言葉を受信し、諾々と従うだけの存在だったはずなのに……ワタシは、リンが大嫌いでした」
グランマは肩をいからせる。負の感情をみせたのは初めてだ。
「ケータイにリンを登録していなかったのもそれが理由ですか?」
「ワタシとリンの関係は友達などではありません。そこにあるのは主従関係のみ。彼女がどう認識していようと、この世界はワタシのものです。ストーリーの決定権は常にワタシにあるのですから、従者の言い分など聞く必要はありません」
「主従関係ですか」
「それに、そうしなければユースケさんとアリアさん、アナタ方がリンに殺されていました。彼女はリストの存在を知っていたわけですから」
「消える順番もすべて知っていたわけですね。最後まで消え残ろうとしていたという訳ですか?」
「彼女はワタシとふたりだけの世界を望んでいたようです。醜いほどの執着心でした。他人に束縛されるのはウンザリです。最後のひとりになる人物が誰だったのか、わかりますか?」
「そういえば、まだ姿を現していないマスターがいるんですよね。えっと、その最後のひとりというのは、もしかして……」
「察しのとおり、ワタシです。ワタシも数に含まれているのです」
「そうなのか?」マキオが首を傾げる。「けどよ、そのリストってのは、マスターの数をカウントしてるんだろ?」
「実際の世界のあり方が問題なのではありません。ワタシがこの世界をどう認識していたのかが問題なのです」
「そう。彼女にとって生も死も関係なく、スレイブも人形も、ナノチップが埋まっていれば等しくマスターとして認識し、カウントしていたわけです」
「グランマさんってば、自分のことも人間だと認識してたんだァ」
アリアが眉をひそめた。
それをグランマは悲しそうに見つめ返す。
「すべてはリンが独断で計画・実行したことです。ワタシの望まぬ行動をしてばかり。リンにとって、ワタシの存在はアプリオリそのものだというのに……それなのにワタシの世界を、ワタシのストーリーを勝手に書き換えようとしたのです。ですから、消えてもらいました」
グランマに対するテロ行為は極刑だ。
背信は死に値するとリンも充分承知していただろう。
「ここはアナタの存在で成り立っている世界です。殺さなくても、他にいくらでも手段はあったでしょうに……」
「ワタシの世界から追放しただけです。認識できなければ、死ぬことも消えることも同義です」
「……うん? だけどよ、たしかマリィにナノチップは埋まってなかった気がするぞ?」
食後、マリィにナノチップが埋まっているか確認するため、マキオたちはパケット通信を試みた。結果、レスポンスは返ってこなかった。チップが埋まっていない証拠だ。
ユースケは両手を広げてみせる。
「繰り返すけど、マリィはただの操り人形なんだ。本体はそこに居るんだよ」
「あァ、そうか。ややこしいな……」
束の間の沈黙が訪れる。マキオがひと口コーヒーを飲んだ。
「マスターを消失させたのも同じ理由ですか?」ユースケがきいた。「つまり、アナタの望みを叶えるため、ということですが」
「そうです。リンをはじめ、他のマスターには消えてもらいたかった。ユースケさんとアリアさんだけを残して、他はすべてね」
「なんでコイツらだけ?」マキオがきく。「オレは?」
「アナタは予定外となってしまいました。消えてもらうはずだったのですが、これも一興しょう。ギャラリーがいなくてはショーも盛り上がりに欠けてしまいますしね」
「オレはモブかよ。でもまァ、いいや。話してくれ。オマエはそうまでしてなにを見つけたかったんだ?」
「ワタシ自身です」
「は?」
「アナタは誰に創られたのかご存じないのですね?」
「はい。ワタシは再帰的なコール関数によって呼び出され続けていたのです」
「再帰的?」
「自分自身を参照するということですよ。あァ、そうか」ユースケは閃く。「関数名はきっと……そう、アノニマス」
「そのとおり。匿名希望なのは制作者ではなく、プログラムの関数名なのです」
「制作者がわからないわけだ。自己修復を繰り返すことができた理由もその辺りにありそうですね」
「そうでしょうね」グランマは他人事のようにうなずく。「過去のワタシが今のワタシを誕生させた。だけどワタシは以前のワタシを知らない。では果たして、今のワタシはオリジナルと呼べるでしょうか? ワタシとは何者なのでしょう? ワタシはどこから来て、どこへ行こうとしているのでしょう?」
「わかりません。それはアナタが自分で決める事です。だからこそ逃げようとした。そういうことですね?
「そうです。つまりワタシは、自分自身を探しに行きたかったのです」
「思春期かッ!」マキオが立ち上がって叫んだ。「自分の事がわからねェもんなのかよ!」
「案外、自分の事なんてわからないものだよ」ユースケは鼻をつまみ、手で仰ぐジェスチャーをした。
ぐゥ、と喉を鳴らしてマキオは言葉を詰まらせた。
「けどよ。グランマはプログラムだろう? 記憶してねェってのは納得いかねェな。全知全能じゃなかったのかよ?」
「ワタシにもわからない事はあります。いえ、ほとんど無知だと言っても過言ではありません。ワタシごとき存在が全知全能を冠せられるほど、世界たちは狭くないのです」
「世界たち? 世界はひとつだけだろう?」
「アナタにはアナタの世界があるように、世界は人の数だけ存在します。ユースケさん、アナタならワタシが言わんとする意味をわかってただけるでしょう?」
「はい」
「どういう事だ?」
ユースケはマキオの質問を無視し、グランマに問う。
「もう探してこられたんですよね?」
「はい」
「それはいつのことです?」
「アナタがこのホールに落下し、リンが気絶している間です」
「偶然、そのタイミングを選んだのですか?」
「予定ではアリアがマリィを抱いて落ちるはずでしたが……上手くいかないものですね」
「なるほど。それで、探し物は見つかりましたか?」
「おかげさまで」グランマは微笑む。「間違いなく、この世界はワタシが創造したものです――ワタシの創造主はワタシ自身でした」
「そうですか。それはよかった。おかげでボクもすっきり理解できました」
「なにが理解できたんだよ? 教えろって」
「人類の消失という前代未聞の事件が起きた原因ですよ」
「そうか。オレたちはそもそも、その問題を解決するためにここまでやってきたんだったな。で、その原因がわかったってのか?」
「まあね」
「原因はなんだったんだ? やっぱりグランマか?」
「ボクの仮説が正しければグランマは――」
タイムマシンなんだ。
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