【オリジナル小説】ザ・グレイト・エスケイプ【第16話目】

ザ・グレイト・エスケイプ オリジナル小説

第16話 噛み合わない二人

「どのくらい眠ってた?」ユースケがきいた。

 麻酔から目覚めると軽い痛みが腹部を刺す。とりあえず塞がってはいるが、縫合の痕が生々しい。それでもオペは成功したようだ。

「4分28秒だよゥ」アリアは縫合用のナイロンを回収しながら答える。

「優秀だね」

 ユースケはすぐさま立ち上がろうとしたが、アリアがそれを制止する。グリーンティーを差しだして言った。

「30秒のロスタイム。これを飲んで。輸血代わりの水分補給。砂糖も入れる?」

「すぐにエネルギーに変換されるわけじゃないし、ブラックで」

「え? これ、緑色だけど?」

「どっちでもいいや。とにかく、ありがとう」

 ユースケは両手をのばして受け取る。お茶はとっくに冷めていて香りもしない。しかし喉が潤っただけでも生き返る気がした。

「人間の体ってやっぱり不便だな」

「その分楽しみが多いってものじゃないか。なんでも楽すれば良いってもんじゃないんだぞゥ」

「まァね。無駄を楽しめるって贅沢だよな」

 それは余裕がある証拠だと思う。

 ユースケはバッテリー残量を確認した。ふたりとも消失まで充分にもつ。

 パソコンを起動させ、コンパイラを走らせる。タスクを限界まで割り当てた。

 アリアもユースケの手を握り、それに続く。コンパイルが始まるとディスプレイに完了予測時間が示された。

 ――約3時間。予定通りに完了したとしても、次の消失まで30分を切っている。

「とにかく、コンパイルはできるだけ進めておこう。またどんな不測の事態が起きるかわからない。だけど、それでも。うーん。ぎりぎりだなァ……」

「なんとか短縮できないかなァ?」

 次になんらかのトラブルが発生すれば今回も間に合わなくなってしまう。すこしでも対策を練っておきたいところだ。わずかに残したタスクをフル稼働し、閃きに期待する。しかし残されたリソースは乏しい。有効な改善策は見いだせなかった。

「せめてもう一人いてくれたら助かるんだけど……」ユースケはため息をついた。

「マリィちゃんもコンパイルできたらいいのにねェ」アリアはベッドに視線を移しながら言う。その片隅にはマリィが佇んでいた。

「あァ、そっか……マリィもいたな」

「彼女を忘れちゃ可哀想だよゥ」

「彼女じゃないっての」

「マリィちゃん、なにも言わないと気がついてくれないよゥ。マスターってば、ただでさえ鈍感なんだから」

 ユースケが睨んだが、アリアはそれを無視してマリィを抱きあげた。しかし返事はない。

「マリィは人形だって」

「そうだけどさァ。もしかしたら、話しかけてあげれば、そのうち返事してくれるかもしれないよォ?」

「そんな奇跡は起きないよ」

「100回表が出たからって、次も表が出る保証はないんでしょう?」

「それは確率の話であって、前提じゃないよ」

「マリィちゃんが喋らない理由は?」

「理由もなにも……証明する必要なんてない自明だろう。マリィは意志を持たない人形なんだ。人形は喋れないし、動けないんだよ」

「それがアプリオリなのォ?」

「説明できなくとも、法則ってのは厳然として存在してるんだよ」

「でもさァ、それならワタシはどうしてしゃべれるのォ?」

「あァ、そういうことか……」ユースケはアリアの疑問を理解した。

 アリアはスレイブであり、機械仕掛けのアンドロイドだ。

 きっと自分とマリィの差が区別できていないのだろう。そうユースケはそう認識した。

「それはね、アリアにはコミュニケーションする仕組みを持ってるからさ。人工知能をもって思考することもできるし、声帯とか、言語を話すための機能がキミには備わっているんだ。一方、マリィにはそれがないというわけ」

 スレイブにはスピーカーが内蔵されている。空気を振動させ、発話することが可能なのだ。しかし、納得できないといった顔でアリアは追及してくる。

「それだけの違いなのォ?」

「他になにがあるって言うんだよ」

「うーん、うまく質問できないんだけど……人間も最初から話せるようにできてたのかなァって」

「最初から備わってたわけじゃないよ。生存率を高めるために、進化の過程で身につけた手段なんだ」

「手段?」

「そう。言葉は手段であり、たんなる道具だ。会話することも、コーディングすることも目的じゃない。だけど、その道具を使い熟すためには技術が必要になる。技術は練習すれば習得できるものなんだよ」

 どんなに技術が優れていても、それを扱う者が劣っていたのではその道具が持つポテンシャルは充分に発揮されないのだ。

「そうか、練習すればできるようになるのかァ」アリアは、またマリィに話しかける。「マリィちゃんもいっぱい練習すれば話せるようになるってさ」

「マリィはモノだから成長しないよ。いや、変化しないと言った方が精確か」

「変化はするよゥ。ワタシだって変化してるもの」

「そりゃァ、万物はみんな流転してるけど……アリアとマリィでは根本的に仕組みが違ってるんだ。変化する速度が全然違うんだよ」

「でも、変化することに変わりはないんでしょう? 人間だって急に進化したわけじゃないし、どこが違うのォ?」

 アリアの疑問に言葉が詰まった。

 ユースケは腕を組んで考え込む。

「きっとさ……機能が備わっていても必ず話せるようになるわけじゃないんだよ。抽象的な答えになっちゃうけど、対象になにかを伝えようとする意志があるか否か、かな? つまり、話せるようになるかは発信する人のモチベーションの差なんじゃないかな?」

 言いながら、今ひとつ説得力に欠けている。歯切れの悪い説明だと自覚した。それでモノが喋るようになるものか、と自身でも納得していない。

「ヤル気かァ……」アリアはマリィに話しかける。「マリィちゃん、言いたいことがあるんならもっと努力しなくちゃダメだぞゥ」

「いや、だから。マリィの場合はそれ以前に、発話する仕組みを持っていないんだ。伝えたいことがあったとしても機能的に不可能なんだよ」

「どうも会話が成立しないねェ」

「アリアの質問がおかしいんだよ」

「変なのはユースケも同じだよゥ」

「否定しないけど」

「みんなどこか変なんでしょう?」

「そうだけど……」

 否、そうじゃない。

 なにかそこに齟齬があるように思える。

 シンタックスエラーのように言葉が噛み合っていない。否、それはエラーとは呼べないほどのコーション。小さな歯車がぎしぎしと軋んでいるような、そんな小さな違和感。アリアがなにを考えているのか、どんな答えを求めようとしているのか、ユースケは計りかねた。

 それを見透かしたようなタイミングでアリアがきいた。

「伝わらないのってさァ、話す方が一方的に悪い訳じゃないでしょう?」

「どういうことだ?」

「ユースケはさァ、マリィちゃんの話を真面目に聞いてあげるつもりはあるの? ってこと」

「ボクが悪いって言うのか?」

「そうだよゥ。ユースケってば、ワタシが喋っててもどこか上の空だったりするじゃないかよゥ」

 アリアは頬を膨らませてユースケを睨んだ。

 聞く側に問題がある? 変なのはボクも同じだ、とそこはユースケも自覚している。

「話を聞いていないことは否定しないし、できないけど。ボクにはちゃんと耳があって、聴覚は正常に機能してるんだ。なにかを発してれば聞き取れるさ」

「だからァ」アリアは首を振る。「そういう機能的な問題じゃなくて、意志の方だよ」

「意志?」

「機能が備わっていても必ず話せるようになるわけじゃないのなら、聞き取れるようになるわけでもないんでしょう? 言葉が道具であり、手段でしかないのなら、耳もまた然りだよゥ。それを使い熟すには、話す技術があるように、聞く技術があっても良いんじゃないのォ?」

「それは――」

 あると思う。

 否、明確にある。

 そうだ、ボクはなにを見ていた? 

 ボクはなにを聞いていた? 

 ボクはなにを前提にしていた? 

 ユースケは部屋を見回し、熟考する。壁に頬を押しつけて目を閉じた。今度はフロアに寝そべって耳を澄ませる。次に部屋の中央に立つ。集音器のように耳に手をあてた。 

「ユースケ?」アリアがその様子を不思議そうに見つめ、首を傾げた。

「……ボクは今まで――なにを認識していた?

「それは、ユースケが見えるもの、聞こえるもの、嗅げるもの、触れられるもの、そして感じられるものだけだよゥ」

 そうだ、そのとおりだと思う。

 ユースケが認識しているのは、自分から見た位置だけであり、方向だけだ。つまり、自分の価値だけを基準に考えているのだ。全てを認識していたわけじゃない。そう悟った時――ユースケの中でなにかが変化した。

 ブ――――ン……

 と頭の中で高い音が反響する。そして顔をあげた。

「そうだよ。変なのはボクも同じなんだよ……」

「変なの。ようやく自覚したのォ?」

「アリアだって変だし」

「そうだけどォ、面と向かって言われるとやっぱりちょっとムカつくなァ」

「それよりもマリィだ。マリィを貸して」ユースケは、ゆっくりとした足取りでアリアに近づき、要求した。 

「どうするのォ?」アリアは眉をひそめながらもマリィを手渡す。

「ちょっと失礼して……」

 おもむろにユースケはマリィの脚に手をかける。

 そしてスカートをめくった。

「うわァ!」それを見てアリアが絶叫した。「ユースケの変態ッ。見直したよ。それでこそマリィの彼氏。キミこそ健全な青少年だッ!」

「そんなんじゃないって。ちょっと確かめたいことが――痛たッ」

「ワタシにはなにもしてくれなかったくせにッ」そう言ってユースケを叩く。

「いいから、アリアはちょっと黙ってて」

「しょせんワタシなんて現地妻なんだァ!」

「どこでそんな言葉覚えたんだよ、まったく」

 ユースケでなければネットしかないのだが。暴れるアリアの腕を払い退け、ユースケはマリィのスカートを剥ぎ取る。彼女の細長い脚が露出した。その表面は毛糸で覆われており、弾力がある。しかし、力を込めて押してみると中に固い芯があるとわかった。足や腕だけではない。胴体にもそれはあった。それらは関節のように繋がっており、各パーツが稼働するようになっている。

 ユースケは適当な方向に曲げてみた。

「やめてあげてよゥ。マリィちゃんが可哀想だよゥ」

「アリアにはマリィの痛みがわかるのか?」

「わからないけど……なんだか辱めてるみたいで、見てるコッチまで痛くなるよゥ」

「マリィはなにも感じていないよ。アリアの人工知能――心が『痛そうだ』と勝手に想像して、感じているだけだ。それは幻だ。錯覚なんだよ」

「そうかもしれないけどさァ……」アリアは難色を示す。

 みょうな背徳感があることはたしかだが、ユースケはそれを無視する。

 ブラウスや下着も全部脱がせた。ひっくり返して背中の縫い目に指を差し込む。解れた糸を引き千切り、詰められている綿を引き抜く。中の芯を全て取り出す。それらのパーツは全て繋がっており、金属でできている。マリィの内側に、マトリョシカのようなひと回り小さい人形が入っていたことになる。

 ユースケはその構造を改めていく。そして、あるパーツを発見した。

「あった、これだ」

「なにがあったのォ?」

「見て」

 掌にのせ、アリアに見せる。

「なんだろう、これ? すごく古そうだけどォ」

「おそらくこれは――」

 待てよ。ユースケは考えを巡らせる。

 そうすると、リンにとって、マリィはなんだったんだ? リンだけじゃない。レッドにとってモモは? ボクにとって、アリアはなんなんだ? マスターにとって、グランマにとって、この世界とはなんだったんだ? 

 クロックが高速で振れ、CPUの処理速度が増幅される。メモリが増築されたように、いくつもの過去が並列に交錯する。電子が光速で頭の中を駆け巡る。外からの情報が遮断される。コンパイルすることも忘れ、思考回路がマザーボードの一点に集中した。

 デフラグが進む。データが整理される。フラグメントなデータが集束し、全体像が形を成していく。結んでは絡まり、そして解けては列を成していく。

 データが聞こえる。

 データが見える。

 データが――

「わかったかもしれない」ユースケは顔をあげた。

「えッ、なに? なにがわかったのォ?」

「アリアもわかるだろう?」

 ユースケの脳波は明らかに変調をきたしている。悪い意味ではない。ただ変化しただけだ。それは非常に鮮明で、オシロスコープに表れた波形のように、滑らかな放物線を描いている。

「ユースケがなにかを理解したことはわかったけどォ……ゴメン、処理が追いついてないよゥ。ねェ、なにがどうなってるのォ?」

「待って、説明は後だ」ユースケはその問いを制した。

 現在時刻は午後8時45分。

 コンパイルの進捗を確認する。完了予定時刻が遅れている。ユースケがパフォーマンスを別のタスクに集中していたからだ。

「時間がない。アリア、協力してくれ」

「どうするのォ?」

「検索するんだ。実験をして、確証を得るんだ。そのためにはとにかく、検索エンジンを完成させないと……でも、ふたりだけじゃビルドが間に合わないかもしれない。なにか手段は残っていないか?」

 マリィはビルドに参加できない。まだ問題は解決していない。ユースケはビルドを最優先させつつも、その隙間を埋めるように思考を巡らせる。

 その時。パソコンの端にウィンドウが開いているのが目に留まった。緊急掲示板が更新されている。ウィンドウを最大化する。

 書き込みの主はマキオだった。

「あァ、そうか。マキオはまだ消えたわけじゃなかったんだっけ……」

「本気で忘れてたねェ」

 そうだ。この世界にはまだ、ユースケとアリア以外にあとふたり残っている。

 見えなくとも、多くの人間が同時に存在していて、それぞれの場所でストーリーを展開しているのに、いつの間にかふたりだけになったと錯覚していたのだ。

「まったく。余裕がないよなァ、ホントに」ユースケは己の無知を恥じ、苦笑する。「ボクたちが主役だなんて思い込みに過ぎないんだよ」

「それで、マキオはなんだって?」

「『腹が減ったけど、部屋から出られない。どうなってるんだ?』だって」

「呑気だねェ」

「こっちで起きてることが伝わってないからね」

「それにしたってさァ……」

「とにかく助けに行こう」

 書き込みからすでに24時間が経過している。

「そんな暇ないんじゃないのォ? 水なら飲めるだろうし、1日くらい食べなくたって飢えたりしないよゥ」

「マキオにもコンパイルを手伝ってもらうんだ。きっとその方が早い」

 ユースケは立ち上がり、部屋から出るため扉に手をかけた。アリアはあんまり期待できないなァ、とぼやきつつもその手に自分の手を重ねる。

 ふたりで開錠を試みたが、やはりロックがかかっている。どうやっても開かない。

「だめだねェ。やっぱりパスワードが必要なのかなァ?」

「おい、グランマッ! 扉を開けろッ」

「そんな大声出したってグランマさんには伝わらないよゥ」

「そんなことはない。絶対に見てるはずだし、聞こえてるはずだ」

 そう言って扉を叩き、叫ぶ。しかし、ひたすらそれを繰り返しても、やはりレスポンスは返ってこない。

「無視かよ。そっちがその気なら……」業を煮やしたユースケはドライバーを手にする。

「どうする気?」

「グランマッ、開けてくれないんなら力尽くで通るぞ!」

 ユースケはドライバーをかまえると扉に向かって一足飛びに突進した。

 ドライバーが突き刺さると扉が変形し、わずかな隙間ができた。

 先端をねじ込み、梃子の原理で押し広げていく。

 ケーブルが切断され、火花が散る。

 光が漏れ、向こう側が見えた。

 扉が途端に軽くなる。蹴破ると音を立てて倒れた。 

「けっきょく最後は根性だねェ」アリアが軽快に口笛を吹いた。

「エンジニアは体力が命ってね。呆れた?」

「感心してるんだよゥ。やっぱり男の子だなって」

「急ごう」

 ホールに出ると、テーブルを迂回して反対側へ駆けていく。マキオがいる部屋はちょうど反対側だ。

「そう言えばさァ……」アリアは走りながら首を傾げる。「グランマさんに対するテロ行為は死刑になっちゃうんだよねェ? ずっと見逃されてるってことは、やっぱりここにはいないんだろうねェ」

「いや、必ずグランマはここにいる」

「逃げてないのォ?」

「いる。観測するまでは不確定ではあるけれど……」それでもユースケは断言する。「グランマは見て見ぬ振りをしてるだけだ

コメント

タイトルとURLをコピーしました