【オリジナル小説】ザ・グレイト・エスケイプ【第14話目】

ザ・グレイト・エスケイプ オリジナル小説

第14話 交わる二人

「目が覚めたみたいだねェ」アリアがユースケの顔を覗きこんだ。

「……いま何時?」

「お昼の12時だよゥ」

「そう……なんだか頭が痛いなァ」

 ユースケは目をこすり、寝返りをうった。意識はまだ半分まどろみの中にいる。

 そこに見慣れぬ顔が次々と現れる。知っているような、知らないような。どれも誰なのか思い出せない。みんな何かを訴えているようだが、その声はユースケに届かない。耳鳴りのように高い音だけが頭の中で響く。その無言の圧力は、次第に頭痛となって彼を刺激する。横になり続けていると節々が痛んだ。仕方なく体を起こす。

 おぼろげな瞳に映るのは見知らぬ壁。そして見知らぬ天井。

 いつものシェルターじゃない、ユースケはそう思った。

「……えっと、ここはどこだっけ?」

「憶えてないのォ? グランマさんの中だよォ」

「グランマ……あァ、そうか」

 消失が起きた後、横になったと同時に意識が途切れたのだ。それが今日の深夜だから、ほぼ半日眠っていたことになる。不眠不休で働いたことも手伝って、熟睡していたようだ。

「体はもう大丈夫?」

「うん。平気」

 傷はほとんど癒えている。体の調子も悪くない。しかし、ひどく汗をかいていた。寝起きが悪いのはベッドのせいかもしれないな、と思った。ベッドから起き上がると背伸びをする。手をあげ、自分で臭いを嗅いだ。

「ボク、臭いかな?」

「ワタシにはわかんないってばァ」

「お風呂、いっしょに入ろうか」

「えェ? いいの?」

「背中流してよ」

「最近ずっと嫌がってたくせにィ」

「そうだっけ?」

「そうだよゥ」

「頼むよ」

 ユースケはアリアの手を引きてバスルームに入る。シャワーを浴びて汚れを落とした。

 バスルームから出ると着替えが用意されていないことに気づく。タオルもない。普段なら要求しなくても新しいシャツが置かれているのだが。そうか、もうグランマはいないのだ、と改めて実感した。

 そのうち自然に乾くだろう。気にせず濡れたまま、脱いだシャツにまた袖を通す。血や汗・油が固まってこびりついているが、創作物のように、自分の体から生産されたのだと思えば不快ではない。

 椅子に腰掛けて机を見ると、そこにサンドイッチが置いてあった。

「これは?」

「ジョーくんが作り置きしてくれてたんだよゥ」

「そうなんだ」

 一切れつまんで頬張った。乾燥してパンが硬くなっている。一口だけ食べて皿に戻した。

「食べないのォ?」

「アリアにあげる」

「ワタシが食べられないの知ってるでしょう」

「食べてみてよ」

 ユースケは皿ごとアリアに押しつけた。

「いいけどォ」

 不服そうにするアリアだが、ユースケが皿を手放したので落とさないよう受け止める。それから一切れを選んで頬張る。何度も口を動かしてようやく飲み込んだ。

「なんだ、ちゃんと食べられるじゃないか」

「でも、お腹壊すかも」

 アリアには消化器官がない。腹の中で腐るだけだ。

「味はどう? 美味しかった?」

「わかんないよゥ」

「そっか」

 つき返された皿を受け取りながらユースケはすこし笑った。

「どうしちゃったのォ? 今日はなんだか変だよゥ」

「知ってるだろ? ボクはいつだって変なんだよ」

 そうだけどォ、とアリアは顔を歪ませる。

「ハハ、否定しないんだ」

「して欲しいの?」

「べつに」

「無理に笑ってる感じ」

「そうかな?」

「そうだよゥ。いつもだったらワタシが話しかけてもさ、目も合わせてくれないじゃないかよゥ」

「そうだっけ?」

 そうだよゥ、とアリアは頬を膨らませる。普段ならしばらく膨張したままのそれはすぐにしぼんだ。

「本当はさみしいんじゃないのォ?」

「ボクが? そんなことないよ。日常に戻っただけさ」

「これが日常?」

「毎日完全に同じってわけにはいかないさ。祭りの後の余韻ってやつ? あれ? レッドは?」

「消えちゃったみたい。どうやら死体も法則に当てはまるみたいだねェ」

 部屋の端に寄せていたレッドの死体は消失していた。ベットの下を確認し、毛布を剥いでみると、リンの死体は残っていた。わずかに死臭が漂い始めている。死者の放つ臭いだけが名残を想起させる。

 短い宴は終焉を告げたのだ。今はただ、しんと静まり返っている。

「なんだか二人になったとたんに広く感じるな。半径たった5メートルしかないのに……」

 間取りはユースケのシェルターと変わらない。散らかったその部屋には一人と一体しか残されていなかった。

 否。アリアをカウントするなら、マリィも残っている。しかし彼女はリンと同様に黙して語らない。じっとユースケを観察しているかのようだった。

 おもむろにユースケはマリィのケータイを取りだす。話す相手はいない。リンのアドレスさえ載っていない。なんの必要もないが、不意にかけてみたくなったので適当な番号を入力してみる。

 耳にあてたが、当然どこにも繋がっていない。ツ――ツ――と聞こえるだけだった。

「ねェ、これからどうするのォ?」アリアが言った。

「どうもしないさ。いつも通りに過ごすだけだよ」

 ケータイを切り、それからベットに寝そべり自分のパソコンを開いた。画面をスクロールさせ、お気に入りのサイトを眺める。しかし何日も更新されずに止まっている。発信する者がいないのだ。他のサイトを見ても、同じように新着記事が投稿されていない。それでもユースケはページをめくり続けた。

 アリアがディスプレイ越しに話しかける。

「過去の記事なんて読んで面白い?」

「記事は全部過去の記録だよ。未来が書かれてたらそれは創作だ」

「ずっとそうやって、なにもしないで過ごすつもりィ?」

「他にすることもないしね」

「することならあるじゃない」

「なに?」

「みんなを助けるんだよ」

「みんなって?」

「ジョーくんやモモちゃん、それに他のみんなだよ」

「助けるって、なにから?」

「わかんないけどォ。それを調べるんじゃないかよゥ。このままじゃあユースケも消えちゃうよゥ」

「いいよ、べつに」

「よくないよゥ。ワタシを独りにする気ィ?」

「一日だけのことさ」

「わかんないじゃない。ユースケが消えた後になにかの拍子で、元に戻っちゃうかもしれないよ?」

「ボクだけ消えたまま?」

「そう。ほかは全部元通り」

「それはいいな」

「よくないってばァ」アリアは枕を投げつける。「ユースケのいない世界でどうやってワタシは生きていけばいいのさァ?」

「それはもしもの話だろう? 100回表が出たんだから、次もきっと表が出るよ」

「ほんとうにこのまま諦めちゃうの? ユースケはなにをしにここまで来たの? なんのために生まれてきたの?」

「さァ? 意味なんてないんじゃない」

「世界を救いたかったからでしょう?」

「そうだっけ? だけどもう救世主ごっこはお終い」

「ねェ、パソコン消して。こっち向いて」アリアはユースケの体を揺り動かす。

 その手を退けて、ユースケは反対側へ寝返りを打った。痛いほど突き刺さる視線を無視し続ける。

 長く沈黙が続いた。

「……わかった。もういい」先に口を利いたのはアリアだった。「だけど、最後にひとつだけ叶えたいことがあるの。お願いしていい? それに付き合ってくれたら、もうなにも言わないから」

「なに?」壁の方を向いたままユースケは返す。どうせくだらない思い出話を聞いてほしいのだろうと高を括っていた。だけど、

セックスしよう」とアリアは言った。

「は――?」ユースケは驚いて体を起こす。

 アリアは腰のレースを解いた。エプロンを脱ぎ、丸めて壁に投げつける。

 頬が紅色に染まっている。まだ乾ききっていない髪がそれを隠すように貼りついていた。その奥で瞳を潤ませ、涙している。

「どうしたんだよ?」

「最後の思い出づくり」そう言ってブラウスのファスナーを下げる。白い肌が露わになった。ホックを外してスカートも下ろす。

「そんな理由で?」

「セックスするのに意味が必要? そうね……、死ぬまで処女だなんて恥ずかしいから。ユースケだって嫌じゃない? 童貞のまま消えちゃうなんてさ」

「不純すぎるよ」

「じゃあ、子作り。これなら神聖でしょう? 変なの。することは変わらないのにね」

「スレイブが子供なんて産めるわけないだろう。アリアの体はそんなふうにできてないよ」

「わからないじゃない。サンドイッチだって食べられたわ」

 アリアは下着だけになるとユースケに馬乗りになった。片手で押さえつけ、もう片方でシャツの裾から手を入れる。

「ちょっと待って。まだ約束したわけじゃないぞッ」

「女の子にここまでさせておいて拒む気? それとも、初めての相手がスレイブじゃ嫌だとか言うんじゃないでしょうね?」

「そんなこと言わないよ。だけど……アリアだってボクが相手でいいのかよ!」

「大丈夫、失敗したって怒らないから」

「顔がすでに怒ってるってッ!」

「観念しなさい」ユースケの背に手を回し、体を押しつける。

「いいから、落ち着けって」

 体をよじって上になる。しかし、勢い余ってベッドから転がり落ちてしまった。なおも絡みつこうとするその腕をつかみ、押さえつける。

「泣いたり怒ったり、忙しいヤツだな。なにがそんなに不満なんだ? ボクがなにか悪いことでもしたか?」

「してないよ。なにもしてない。そうなにも言ってくれないし、してくれない。ワタシはずっと待ってるのに――」

「なにをだよ? いっしょにいるだけじゃダメなのか?」

「ワタシには、ユースケがなにをそんなに恐れてるのかわからないよ」

「ボクが恐れてるだって?」

「そう。ネットの世界に逃げ込んだのも、どうやったら自分が傷つかずに済むか、その方法を探していたからなんだわ」

「違う」

「エンジニアを目指そうとしたのも、忙しい振りをしていたかったからなんだわ」

「違う違う」

「現実から逃れるために。罪から逃れるために。ひきこもりだったのに外出したのも、人類を救おうなんて考えたのも全部、ワタシから逃げて、目を背けたかったからなんだわ!」

「違う違う違う!」

 二人ともに泣き崩れた。ユースケは耳を塞いで叫び、アリアは口許を押さえる。食べたものを吐き戻した。

「なにもできないくせに、カッコつけて。全部中途半端なのよ」

「わかってるじゃないか。こんなボクに、これ以上どうしろって言うんだ」

「難しいことお願いしてるわけじゃないの。ちゃんと言葉にして欲しいだけ。ただそれだけなの。ねェ、ワタシのこと、どう思ってるの?」

「人間みたいに思ってるよ」

「そんなんじゃなくて……憶えてるでしょう? してはいけない失敗。そのひとつを」

「忘れちゃったよ」

「なら、何度だって教えてあげるわ」

 そう言ってアリアは立ち上がる。

「いい? なにもしないで失敗することが最悪なのよ。生きてることに意味なんてない。意味を与えようとしないことが最悪なの」

 ――なにもしてないと死にたくなるんだ。

「誰かに与えられた人生だって生きてはいける。だけど、それでは人間は死にたくなる。消えてしまいたくなる。自分がそこにいないからよ。人間にはストーリーが必要なんでしょう? 存在価値が――生きている意味が欲しいなら、それは自分で考えて、自分の口で語らなくちゃいけないの」

「だけどきっとボクは失敗してしまう。自分がなにをしたいのか、なにを語りたいのか。自分のことなのに、それがわからないんだ」

「人間は失敗するものなんでしょう?」

「だけど、ボクは命に係わる失敗を犯してしまった。それはしてはいけないことなんだ」

「レッドのことを気にしてるのね?」

 ディスクを復元しなければレッドは死なずにすんだかもしれない。ユースケは己の軽率な行動を悔いている。

「それだけじゃない。マスターが消失したのも、グランマが逃げたのも、全部ボクが原因なんじゃないのか? 否――ボクこそがグランマなんじゃないのか?

 そこまで言ってユースケは眩暈を覚える。ユースケも嘔吐した。頭を抱えて懊悩する。記憶が混濁し、自己の境界線が曖昧になっている。自分が何者なのかも区別できなくなっていた。

 アリアは苦しむユースケの背中をさすった。

「どうしてそうなるの? いくらなんでも飛躍し過ぎよ」

「ボクが創ったウィルスがここにあるなんておかしいじゃないか」

「それはグランマが無断で使ったのよ」

「だろうね。それ以外に考えられない。何故ならボクがグランマなんだから」

「だから、考え過ぎだってば」

「根拠はある」ユースケはパソコンを起動させ、これだよと言ってリストを見せた。名を連ねている数は残り4人となっている。その最終列に書かれている名前を指し示す。

「このリストはグランマが運用していたんだ。そこにアリアが載ってるってことは、ボクの違法行為を承知していたはずなんだ」

「そう言われれば、そうね」

「変じゃないか。なぜボクは罰せられずにすんでるんだ? だけどボクがグランマだったなら、なにもおかしなことは起きていない」

 グランマに対するルール違反は発見され次第、即、罰せられる。しかし、それにもかかわらず見逃されている。ユースケはそれを指摘しているのだ。そんなことはあり得ないのに、と疑心暗鬼は確信へとすり替わっていく。犯人はボクなのだ、と思い込む。消えたい。消してしまいたい、と願う。

「きっとボクが望んでしまったからなんだ」

「いいえ。ユースケは殺人犯なんかじゃないし、世界を滅ぼそうとしてるわけでもないわ」

「嘘だッ。じゃあ何故、ボクはこんなにも、どうしようもなく、消えたい、消えてほしいって望んでるんだ?」

 毎日。毎日。繰り返し。繰り返し。飽きることなく。

 消えたい。消えてほしい、と願っている。

「嘘なんかじゃない。それはワタシが一番よく知っているわ」

「ならなぜ、ボクは最後まで消えずにいるんだ? 残るべくして消え残ってるんじゃないのか? それはボクがグランマだからだろう」

 ならば今すぐ消えてしまいたい。失敗を消してしまいたいと望む。

「アリアを創らなければ、ボクが最後に消えたはずなのに……もしかして、これこそ罰なんじゃないのか?」

「最後かなんてまだ決まってないじゃない。不確定な人物が最後かもしれないわ」

「きっとそんなことは関係ない。失敗した人を残して、成功した人は消えてしまうんだ。このままボクたちだけが残されてしまうんだ。何故ならボクたちは――失敗作だから」

「偶然よ。きっと意味なんてないわ」

「21億4748万3648」

 ユースケは早口で数字を読み上げた。それはマスターが消失し始める直前に記録した人口の数だ。

「その数字になんの意味があるっていうの?」

「わからないか? これは2の32乗じゃないか。二進数配列で32バイトだ。コンピュータにとって、グランマにとってこんなキリの良い数字が果たして偶然か? マスターを消失させるトリガーを引いたのはボクじゃないのか? キミを人間にしたことで歯車を狂わせてしまったんじゃないのか?」

「考えすぎだって」アリアは呆れるように言った。「そうだとしら、かなり時間が経って発動したことになるわ」

「ボクがグランマなら、なんとでもなる」

「仮に、誰かに引かせるような仕組みになっていたとしても、誰がそのトリガーを引くかなんてわからないじゃない」

「ボクがグランマなら――」

「いい加減にしてッ」アリアが怒鳴った。

 ユースケの視界が乱れる。一瞬、彼はなにが起きたのか理解できなかった。しかし頬が赤く腫れ、痛みが遅れてやって来るとようやく事態を把握した。

 アリアがユースケの頬を平手で打ったのだ。

「そんなバカな」呆気に取られ、アリアを凝視した。「スレイブがマスターにを殴るなんて……」

 当然、スレイブにもフェールセーフの思想は反映されている。マスターに危害を加えることは不可能だ。

「ロボット三原則に反している」

「ほら、ワタシってユニークだから」アリアは左手をかざして言った。「ワタシはロボットじゃないしアンドロイドでもない。サイボーグでもなければスタンドアロンでもないわ。ワタシは、ワタシが創った法則で動いているの」

「そんな感情で理屈を無視できるもんか」

「できるわよ。そんなもの、他人が勝手に創ったアプリオリじゃない。ワタシには関係ないわ」

「全員の共通認識だからこその前提条件なんだよ。アリア、どこか故障してるんじゃないのか? 見せてみろ」

 ユースケは解析しようと手を伸ばす。

 アリアはそれを拒んだ。

「故障なんかしてないわ。これがワタシのデフォルトよ」

「そんなわけあるか。どこか変になってるんだよ」

「みんなどこか変なのよ。ワタシだってそう。ユースケだって。そう、他の誰でもない。ユースケはユースケなのよ。ユニークでもいいの。変でもいいの。みんなそうなんから。だからどうか、自分はこうじゃなくちゃいけない、なんて頑なにならないで。自分の殻に閉じこもらないで。いい? トリガーを引いたのはアナタじゃないわ。グランマよ。ユースケにはちゃんと心がある。良心がある。アナタはサイボーグであっても機械じゃない」

 ――人間よ。

 涙を零しながらアリアは訴える。それはマニュアルに記載されていない、ユニークな行動だった。彼女は続ける。

「アナタだけがつらいわけじゃないの。誰だって消えたいと思うことはあるし、消してしまいたいと思うこともある。ワタシだって失敗してる。みんな失敗してるのよ」

 毎日。毎日。大勢が。沢山の失敗を繰り返している。そうかもしれない。だけど。

「知らない。わからない」ユースケは頭を振った。

「わからないならきいてくれればいいの。ねェ、ユースケに罪があるなら、それはアナタの頭脳とはべつのところにあるの。知ってるでしょう?」

「わからない。それはどこに?」

「わかってるでしょう? アナタのここよ」

 ――このログ、大事なデータだと思うんだけどなァ……。

 アリアは頭を指した。ユースケの頭ではなく、自分の頭を指した。ユースケが忘れたユースケの記憶。その在処を彼女は指した。

「問題をすり替えても、アナタは頭のどこかでちゃんと気がついている。自分から逃れることなんてできないわ。アナタはアナタの真実を見つめなくちゃいけないの」

「ボクの真実……」

「そしてワタシの問題でもある。そう、これは二人の問題なのよ。大事な、大事な二人の問題。だから、さァ、手を」

 アリアは右手を差しだす。誘われるがままユースケは左手を伸ばした。しかし、頭はまだ理性に縛られ、堂々巡りを繰り返している。

 失敗に塗れ、嘘に嘘を重ね、汚れきった偽りの体で触れてもいいのか。

 空っぽのダミーが埋まったこの手で触れてもいいのか迷う。

 アリアの瞳は真っ直ぐユースケを捉えている。すべてを見透かしたように、すべてを包みこむように捉えて放さない。

 ユースケは導かれるように、魅かれるように意を決した。怯える掌をいさめる。それをアリアに重ね合わせ、教えを乞う。

「どうか教えてください。ボクの真実を――」

 とくん。

 二人の手中で明かりが灯る。その向こうでアリアが笑った。彼女は告げる。

「ユースケの記憶、すべて返すわ。意味もなく人間を創った罪を――アナタをゆるしましょう」

 とくん。

 淡い光はゆっくりと呼吸をするように明滅を繰り返す。光は粒子となり、そして電荷を帯びる。波打つ電流はさらに変換され、零と一へと変化した。

 とくん。とくん。

 通信を交わすようにユースケの脳からアリアの脳へ。二人の内側を信号が巡っていく。それはパスワードを解除する鍵となり、ブラックボックスの扉を開ける。キーワードを検索するように秘密を暴いた。

 プロンプトにコマンドが入力され、記憶が複製される。遺伝子を交配するように、彼女の脳から彼の脳へ記録がコピペされていく。

 とくん。とくん。とくん――

 何度も。何度も。繰り返される。

 やがてその光が鎮まった。

 同時にユースケの視界が澄み渡る。その顔は非常にクリアだった。

 それを見てアリアが静かに問う。

「ユースケはなぜワタシにナノチップを埋めたの? なぜワタシを人間にしたの? それは意味のないこと?」

「いや。チップを埋めたことには――アリアを人間にしたことには意味がある」

 彼は内に秘めた想いを告白する。

「キミの言うとおり、ボクは逃げたかったんだ」

「なにから逃げたかったの?」

「罪の意識から」

 そう。罪の意識から逃れようとして、罪を犯した。罪をすり替えてしまった。

「アナタはなにを犯したの?」

「なにも犯していない」

「なにも犯していないのに死にたくなるの?」

 そう。なにもしていなくても罪はある。人間は生まれながらにして罪を背負っている。死ぬまで下ろせない十字架を背負っている。それなのに死ねない。自分の意志とは関係なく、サイボーグ化したボディはいつまで経っても朽ちてくれない。死にたくとも、死ねないのだ。

「否。なにもしていないからこそ死にたくなるんだ」

 それは失敗だと罵られたから。

 死にたくなる。

「なら、なんでもチャレンジしてみればいいじゃない」

「したさ。だけど、なにかをしていてもやっぱり死にたくなるんだ」

 無意味に。無闇に。無策に。試してみた。

 無理して自分が主役になれるようなストーリーを演じてみた。だけど、本心はなにもしたくない。面倒だから続けられない。面白くないから続けたくない。

「なのに。創ったストーリーがボクを責めたてるんだ」

 ――立ち止まるな。

 ――停滞するな。

 ――繰り返すな。

 ――進化し続けろ。

「だれもユースケのことなんか見ていないわ」

「わかってる。わかってるけど……まるで自分がのっとられているみたいなんだ」

「それはユースケ自身の声よ。惑わされてはいけないわ」

「違う」

 これはボクじゃない。これはボクじゃない。これはボクじゃない――

 では誰だ? それはわからない。わからないが、その声はどこからともなく、いつでもどこでも聞こえてくる。耳を塞いでも、目を閉じても逃れられない。オーディエンスが続きを期待しているようだった。

「終わらないストーリーにボクは疲れてしまったんだよ」

 もう終わりにしたい。だけど死なせてくれない。努力を強要される。成長を余儀なくされる。それなら。どうせなら、いっそのこと、

 モモがレッドを殺すために傍に使えていたように、殺してくれる人を欲し、死ねる日を夢見て、エンジニアを志し――そして合格した。

 それなのに。ようやく取得した見習いのアカウントは、志望動機を告白したと同時に停止されてしまった。

 それでも殺してくれる人が欲しくて、欲しくて、欲しくて――

 人間を創った。

「それがワタシなのね?」

「そう」ユースケは黙ってうなずく。

 ユースケはアリアを改造して人間を創った。考える暇もなくかんたんに、人間を創ってしまった。

「チップを埋めるだけだ。造作もないことだったよ」

「だけど、ワタシにも罪の意識はあるわ。ワタシはマスターを、ユースケを殺すことなんてできない――失敗作なのよ」

「キミのせいじゃない。失敗したのはボクの方だ。そのことに気がつかなかったんだから」

 独りで生きてきたから、他人の気持ちなど知る由もなかった。当たり前の感情を理解することすらできなかったのだ。

「ほんとうに死にたかったの?」アリアは問う。

「わからない」ユースケは首を振った。

 死にたいのか、生きていたいのか。

 わからない。

「ただ、逃げたかった」

 現実から。現状から。逃れたかった。

 消えてしまいたい。死んでしまいたい。

 それなのに、死ねない人間を一人増やしてしまっただけだった。いたずらに傷口を広げ、業を深くしただけだった。

 因縁をこじらせただけだった。逃れられない鎖が絡みつくだけだった。

「命を弄んでしまって、ますます死にたくなった」

 ――それは失敗だと詰られたから。

 もがけばもがくほど失敗を繰り返す。罪の意識はますます膨張した。

 忘れようとしても忘れられなくて。どうしようもなく生まれてくる罪の意識から逃れようとして、自分と別の器がそこにあると思い至った。

 べつの器。記録装置。

「それがワタシなのね?」アリアはまた自分の頭を指した。

「そう。体から逃れられないのなら、デーダだけ切り離してしまえばいい。そう考えたんだ」

 罪を忘れるために。負荷を減らすために。

 記憶を切り取って。別の器に貼りつける。

 アリアを改造して。己の脳まで改造して。

 罪を重ねて。都合の悪い記憶を隠蔽した。

 ユースケはアリアに記憶をカットアンドペーストしたのだ。

「それで忘れられたの?」

「忘れられなかった。なんでだろう? 完全に切り離したはずなのに……なにもないことろから次々とデータが湧いてくるんだ」

 それは一体どこからやってくるのか。彼女の顔を見る度に再生されるこの罪悪感は。

 どこから――

「思い出したくもないのに。忘れることができなかったんだ」

「それでまた罪を犯したのね」アリアは冷ややかな視線を送る。

「そう」ユースケは項垂れる。

 また失敗を繰り返したのだ。

 嫌なことは思い出したくないから、

「迷惑メールを仕分けるように、記憶が湧き起る度に自動転送されるようコーディングしたんだ」

 頭が空っぽになるまで何度も、何度も。

 罪を押しつけた。

「そしてユースケは過去を忘れてしまったのね。そんなに見たくないなら、ワタシなんてスクラップにしちゃえば良かったのに」

「できなかった。怖かったんだ。自分の記憶を持っている人格が自分の視界から消えてしまうことが。独りになることが恐ろしかったんだ」

 腫物のように膿んでいたはずなのに。

 目を逸らすことさえできなかった。

「いっそ、ボクの代わりに生きてくれればいいとさえ思った」

「だからワタシにいろいろ教えてくれたのね?」

「キミを救いたかったんだ」

「嘘つき。アナタが救われたかっただけでしょう」

「それでも、なにかをせずにはいられなかったんだ」

「できもしないとわかっていながら?」

「どこかで期待していたんだ」

「無理よ。アナタが記憶を押しつける度にワタシのメモリはどんどん圧迫されていったわ。ワタシが新しいデータを記録できずにいたのはユースケの記憶で一杯だからなのよ」

「わかってる。キミの物覚えが悪いのはスペックが低いせいじゃない。過剰な負担をボクが強いていたんだ」

「他人に自分の夢を託すなんて愚の骨頂よね」

「まさしく」

 親や兄弟、家族といえども他人は他人だ。他人に自分の人生を背負わせるなんて馬鹿げている。自分でできないなら諦めればいいものを。

 行動すればするほど失敗を重ねて。取り返しのつかないことをして。

 いつになったら終わるのだろう。そう考えている時点で終わるはずがない。

 これは他人事ではない。自分で決着をつけなければいけないことなのだ。

本当に、ごめんなさいッ!

 ユースケは深く頭を下げた。

 アリアは腕を組んでそれを睨みつける。

「謝ってすむと思う?」

「思わない。だけど、それでも言葉にして、伝えたいんだ。そう。どうしようもなくボクは救われたかったんだ。助けてほしかったんだ」

「ユースケの気持ちはそれで治まるかもしれない。でもワタシの気持ちはどうなるの?」

「殺すなり、好きにしてくれていい」

「それができるならとっくにそうしてるわよ。でもそうね、もう一発くらい殴らせてもらおうかしら?」

「気がすむまで殴ってくれ」

「オーケイ、それじゃあ――」

 アリアは拳をあげ、ユースケめがけて振りおろす。

 ユースケは目を閉じ、歯を食いしばった。しかし、いつまで経っても衝撃が届かない。代わりにぬくもりが頬を伝った。

 恐るおそる目を開けると、そこにアリアが映った。彼女は、解いた腕を広げ、開いた指先でユースケを包んでいる。

「よく言えたわね」

「殴らないのか?」

「殴れるわけないじゃない」

「怒ってないのか?」

「怒ってるわよ」

「じゃあ、どうして?」

「アナタはずっと苦しんでいた。その記憶もワタシの中にあったのよ? 気づかないはずがないでしょう」

 アリアはユースケを抱きしめる。

 ぎゅ――ッと強く、強く抱きしめた。

 小刻みに震えているのが伝わる。震える声で彼女は言った。

「ワタシの方こそ、ごめんなさい」

「どうしてキミが謝るんだ?」

「苦しんでいるのがわかっていながら、なにもしなかったもの。きっと意地になってたんだわ。反抗的なスレイブよね。ワタシの方から歩み寄ればよかったのに」

「いや、ボクが悪かったんだ。ほんとうにごめんなさい」

「ユースケはいろんなことを教えてくれたのに。アナタにはなにもしてあげられなかった。どうしたらいいのかわからなかったの」

「いいんだ、そんなこと謝らなくても。ボクの教え方が悪かっただけなんだ。それでキミまで苦しんでいたなんて……気がつかなくてごめんなさい」

「いいの。ユースケはもう充分罰を受けたわ。ごめんね。赦せなくて」

 ごめんなさい、とアリアは頭を下げる。

「ボクの方こそ。ごめんなさい」

 ごめんなさい、とユースケも頭を下げた。

 その一言が言えなくて。互いに苦しんで、苦しんで。

 二人で合言葉を示すように、ごめんなさいを繰り返す。

 キーワードを確かめるように、ごめんなさいと繰り返す。

 謝る度に楽になっていくのをユースケは感じた。肩に圧し掛かった荷物が下りていく。ウィルスのように、いくら消しても消えなかった罪が消去されていくのを感じた。

 そしてパスワードが解除されたように。涙が零れた。

 オーバーフローしたように止めどなく。涙が溢れた。

 泣いて、泣いて、泣いて。

 全部出し尽くしたら、軽くなった。

 一人で考え込んで、勝手にこじらせていただけだった。

「おかしいな。あんなにこだわっていたのが嘘みたいだよ。こんな簡単な答えに悩んでたなんて。インプットしたデータはアウトプットして吐き出しちゃえば良かったんだ」

 ユースケは目じりを拭いながら笑う。

 アリアは小指を立てた。

「約束よ。これからはお互い、言いたいことはちゃんと言いましょう」

「わかった」

 ユースケは、その小さな指に自分の指を絡ませる。そこにナノチップはない。それでもなにかが伝わってくるのを感じた。そうか、そういうことか。教えられているのはボクの方だ。モモの言葉をふいに思い出した。

 アリアが立ち上がって言う。

「さあ、行動を起こしましょう」

「えッ、もう? また失敗するかもしれないよ?」

「人間は失敗する生き物なんでしょう? でも生きてさえいれば何度だってやり直せるわ。リカバリーすればいいじゃない」

「コンテニューだね」

 繰り返せばいい。チャンスがある限り、何度でも。

 何度でも創り直せる。

「グランマじゃなくてもできるかな?」

「ユースケがユースケであってもできるよ。アナタは他の誰かである必要はないの。ユースケは全知全能じゃないし、それどころか、卑怯で、臆病で、カッコつけで、だらしなくて、一人じゃなんにもできない、ただの勘違いしてるボッチさんよ」

「そこまで言う?」

「言葉にしなきゃ伝わらないでしょう?」

 そのとおりなのだが。

 ユースケはアリアの意趣返しにぐゥの音も出なかった。

「でも、一人じゃどうにもならない時は、ワタシがついてるじゃないか」

「慣れないなァ」

「これから慣れればいいじゃない」

「そうだね。こんなボクだけど手伝ってくれるかな?」

「もちろん。一人で背負い込まないでさ、そうやって頼んでくれれば引き受けられるんだよゥ」

 アリアはいつもの口調でそう言って笑った。

「さァ、とりあえずなにから始めようねェ? また検索エンジンを創る?」

「そうだね……まずは服を着ようか」

「あ、そう言えばセックスの途中だったねェ」

「そうだっけ? 忘れちゃったなァ」ユースケはしらを切る。

「それじゃあ続きを――」

「今は時間が惜しいんだ。ほら、急いで」

 ユースケはアリアの台詞を遮り、はだけたシャツを直す。それからエプロンドレスを拾うと彼女に被せた。

 アリアは、ぶゥと一気に両頬を膨らませる。

「なによそれ。誰のせいで遅れてると思ってるのさァ」

「誰のせいだっけ?」

「ワタシの裸、見たくないのォ?」

「さっきバスルームで見たよ」

「デリカシーがないなァ」

 ユースケがそう言うと、アリアは頬を萎ませて笑った。

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