【オリジナル小説】ザ・グレイト・エスケイプ【第10話目】

ザ・グレイト・エスケイプ オリジナル小説

第10話 修復不可能な異変

 ユースケたちが中央ホールに出た時、モモもちょうど部屋から現れた。

「お、予定通りに終わったみたいだね」

「なんとかね」

「ちょっと心配してたんだ。見習いドロップアウトくん」

 モモは壊れたままの扉をノックしながら笑った。ユースケは返す言葉もなく、ただ肩を竦める。見習いすら挫折してしまったユースケだが、その手には上級エンジニアのアカウントが秘められている。

 少し遅れてジョーも現れた。

「ジョーくん、姫を呼んできてください」

 レッドが頼むとジョーは快諾し、リンがいる6時の部屋へ駆けていく。ユースケはその反対方向を見た。扉は閉まっている。

「マキオもまだ部屋かな? ちょっと呼んできます」

「いえ、彼は不参加ですし時間がもったいないです。ワタシたちだけで始めましょう」

 コンパイルはユースケとレッド・モモ・リン・アリア・ジョーの6人で行う手筈だ。

「わかりました」

 ユースケはテーブルに着くとウィンドウを展開する。ケーブルをモジュラーに差してサーバーに接続した。レッド、モモ、そしてアリアと分散ビルド用の環境を共有する。そこへレッドと二人分のプログラムファイルをアップロードすると4人のディスプレイにウィンドウが開き、コンパイルが始まった。

「速ッ!」

 ユースケは進捗を眺めながら感嘆の声を漏らす。ひとりで実行した時の比ではない。

「今のところエラーはなさそうですね。これなら充分間に合うでしょう」

 レッドが胸をなで下ろす。コーションはいくつか黄色く表示されているものの、修正を要するエラーは報告されてこない。

「戻りが発生しないようにだけは気を使ってますから。リンとジョーも参加しますし、不測の事態さえ――」

 ユースケの中である種の予感がノイズとなって映る。次の瞬間、

 悲鳴がした。

 甲高い声に身を強張らせる。

 リンの部屋からだ。振り返ると、ジョーが尻餅を突いていた。だらしなく扉が開き、その間に挟まれている格好になっていた。

「だいじょうぶゥ?」アリアが駆け寄っていく。「ケガしてない? 慌てちゃ危ないよゥ」

「そ、そうじゃなくて」

 ジョーは唇を震わせている。歯が噛み合ってない。なにかを伝えようと口を動かしているが、動揺が伝わってくるばかりだった。過電流を浴びたように震える指で、ジョーはシェルターの中を差した。

「シェルターの中になにかあるのォ?」

「リ、リンさんが――」

「リンちゃん? まさか消失しちゃったなんて言わないよねェ?」

 アリアは扉の隙間に顔を入れ、シェルター内を確認している。

「なんだ、ちゃんといるじゃないかァ」

「いる、いるんだけど……」

「寝ちゃってるのかなァ? おーい、リンちゃん。起きてくださいよゥ」

 アリアが部屋に入っていく。しかし、しばらくして顔を出した。

「ユースケ、ちょっと来て」

「えッ? 呼んできてくれたんじゃなかったの?」

 そうなんだけどォ、とアリアはしきりに首をひねっている。ジョーと同じように要領を得ない。

「なんだかリンちゃんの様子が変なんだよゥ」

「それはずっとそうじゃないか」

「そうだけど……そうじゃないんだよゥ」

「わかんないなァ。またわがままでも言い出したのか?」

「ううん。なにも喋ってくれないし。起きようともしなくて……まるでお人形さんみたいに動こうとしないんだよゥ」

「しかたないな」

 ちいさく舌打ちしつつもユースケは席を立った。どのみちコンパイルが始まって、エラーさえ発生しなければあとはパソコン任せだ。一度部屋に戻りマリィを連れてくる。友人を間に挟めば聞く耳を持つだろう、と判断してのことだ。それからリンの部屋の前に立つ。ノックしようとしたその時、

 ――変だ、とユースケも思った。

「アリア、リンは部屋に入る時、ロックをかけてなかったか?」

「そう言えばそうだったねェ」

「ジョーが開けたの?」

 ジョーは目を閉じ、首を振った。

 変だ。ユースケはリンの部屋をノックする。

「リン? 入るよ」

 返事はない。静まり返っている。室内は暗くて照明が点いていない。異質な空気が停滞しているような気がしてユースケは二の足を踏んだが、意を決して部屋に入った。

 リンはすぐに見つかった。毛布も被らずベッドに寝そべっている。

「リン、起きて手伝ってほしいんだけど」

 そう言ってリンの肩に触れた。

 ぬるり――と感触が伝わってきた。

 瞬間的に手を離す。生理的に受けつけない、不快な感触だった。掌を見ると粘性の液体が付着している。さらに、揮発性の刺激臭が鼻腔を刺した。

「リン?」

 仄暗い部屋の中、リンと目が合う。

 否、彼女はどこも見ていない。焦点が定まっていない。見開いたままの目は微動だにしていない。レンズの向こうに収まっているそれは、ファイバーのように光を吸収し、暗く染まっている。

 ユースケはリンの左手を取ろうとした。しかしそこにあるはずの彼女の左手がない。手首から先がすっかり消えていた。義肢が無いのだ。接合部から、まだ凝固しきっていない油と血液が漏れている。

 ユースケは、手首の代わりに首筋に指をあてた。自分の鼓動だけが押されて脈打っていた。

 動かない。動かない。動かない。

 これはもしかして。もしかしてこれは。

 ――死んでる? 

 本当に? 

 嘘じゃない? 

 夢じゃない? 

 これは現実? 

 ユースケは混乱して目を逸らす。握りしめた手の中でマリィが赤く染まっていた。

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