【オリジナル小説】ザ・グレイト・エスケイプ【第8話】

ザ・グレイト・エスケイプ オリジナル小説

第8話 意味なんて無い

 午後9時30分。ユースケは着実にコーディングを進めていた。

「あと2千行くらいかな」

 ディスプレイ上を高速でスクロールしていく文字を追いながらそう予測する。ひたすらキーボードを叩いていたが、ようやく完成が近づいて一息ついた。短い休憩の後、集中している時は指先だけが意志を持って動いているかのようだった。

「順調だねェ」アリアはユースケの肩越しにディスプレイを覗く。

「いや、思ったより時間がかかったよ」

「やっぱり体調が悪い?」

「そういうわけじゃないけど。アリアは充電終わった?」

「うん。お腹いっぱいだよゥ」

「お腹は膨れないだろう」

「たとえだよゥ」

「とにかく充電完了したなら離れて」

 アリアのバッテリーは、彼女の口内にあるアダプターをユースケの右の首筋にあるコンセントに接続することで供給される。充電中はずっとユースケに噛みついている格好になるのだ。

 しかし、その充電でユースケのバッテリーが消費されることはない。外部から供給を得るために中継しているだけだ。それは一般的なスレイブにはないユニークな仕様で、デグレードといえばそうなのだが。彼にとって18年間続けている習慣なので、それが不自然だとは感じていない。ただ物理的な障害はある。つまり、

「肩が凝るんだよ」そう言ってユースケはアリアを引き剥がした。

「あうゥ」

「変な声だすなって」

「誰かに聞かれたら困っちゃうもんねェ。ニヤニヤ」

「なんで?」

「きっと変なことしてるって思われちゃうよゥ。わォ、これってスキャンダルゥ?」

「変なことって?」

「レディの口から言わせる気ィ?」

「言葉にしないと伝わらないんじゃない?」

「そこはエチケットとして濁しておかないとォ。ふたりだけのキ・ミ・ツ」

「機密? でもマリィがずっとそこにいるけど」

 ユースケはベッドの上で佇むマリィを指した。アリアは慌ててユースケから離れた。それからマリィを抱き上げて謝る。

「ゴメンね、マリィちゃん。勘違いしないでね。これはただのスキンシップで、彼氏を奪おうってわけじゃないだよゥ」

「充電だって」

「皆には秘密にしてね」

「マリィは口が堅いから大丈夫」

 人形は喋らないし、告げ口もしない。でもリンに見られたら怖いなァ、とユースケはぼやいた。

「普段の調子ならそろそろ完成させてる頃なんだけどなァ」

「やっぱりワタシ邪魔になってる? いない方が良い?」アリアは寂しそうに指を咥えた。

「いや、調子が出ないのは環境のせいかな」

 ユースケは椅子を回転させて振り返った。肩を回して凝りを解す。

 部屋は備えつけのデスクとベッドしかない簡素な造りだ。採光用の窓すらないが、普段もカーテンを閉めきっているので明るさは問題ない。広さも適度で落ち着くのだが、椅子の座り心地や壁のシミなどの些細な点がかえって目立つ。シェルターとそれほど違いはずなのに。なんとなく落ち着かない。

 時間的な焦りはない。遅れているとはいえ締切まで充分に余裕がある。

 そうではなく、微細な音や振動がユースケの調子を狂わせる。シェルターは防音仕様で、プライバシーは完全に保護されていた。これまで隣人の気配を感じることなどなかったのだ。もちろん今いる部屋も閉めきれば遮音されるのだろうが、そうではなく、これまで隣人が住んでいるという意識がユースケにはなかったのだ。

 壁の向こうにいるリンやレッドたちの生活音が漏れ聞こえているわけではないが、そこに人がいるという気配がユースケを動揺させた。

「別にアリアの好きなことを話してくれたって良いんだよ」

「喋っても良いの?」アリアは嬉しそうに身を乗りだす。

 ユースケは、アリアがつまらなそうに頬を膨らましているのを見かねて提案した。それからまた背を向けてキーボードを叩き始める。

「その方が調子が出かもしれない。ボクが黙っててもお構いなしに喋るじゃないか」

「いつも邪険にするくせにィ」

「BGMみたいにさ」

「それじゃあ一曲歌っちゃおうかなァ」

「それはちょっと」

「じゃあじゃあ。恋バナとかしようぜィ」

「どこからそんな単語仕入れてきてるんだ?」

「主にネットで」

「そうだろうけど」

 ユースケの知る限り、外出したことのないアリアにとっての情報源はユースケかインターネットだけだ。彼女はマリィを抱きしめながら寝転がる。

「お泊り会の夜のお楽しみといえば、恋バナですよゥ」

「恋愛なんてしたことないし」

「おっと、彼女を前にしていきなり爆弾発言ですねェ」

 アリアはユースケにマリィを押しつけた。

「演技はもう良いって。此処にリンはいないんだから」

「本音が出ちゃったねェ」

「ウソはつかれるよ。他の話題にして」

「じゃあさ、本心を訊いて良ィい?」

「なに?」

なんでワタシにチップを埋めたの?

「それは――」ユースケは言葉に窮した。

 ディスプレイ越しにアリアが映る。その顔からは笑みが消えており、彼女の瞳は真っ直ぐにユースケを捉えている。

「それは?」

「忘れちゃったな」

「ウソつき」

「アリアなら憶えてるだろう?」

「ユースケの口から聞きたいの」

「また今度ね」

「たとえばさ。今日までしか生きられないとしたら思い残すことはない?」

「たとえばっていうか、まさにその状況だけど……」

 このまま法則が崩れなければ明日の零時にまた四人消失する。さらに明後日にはふたりに、明々後日にはひとりだけとなる。

 ユースケは、人類最後のひとりになるまで残っていたいとは考えていない。最後に残されたマスターは絶望的な状況をたった独りで過ごすことになる。そんな孤独に耐えられるのか想像もつかない。ならば――

「もし選べるなら今日じゃなく、明後日が第一希望かな」

「最後のひとりはイヤよね。取り残されちゃったみたいでさ。ワタシも明後日、ユースケとふたり一緒に消えてしまうのが理想的だな」

「そうなったらすごい確率だよね」

「奇跡的だよ。今だってすでに偶然と呼べる確率じゃないのに。これって必然?」

「必然だよ。2分の1の30乗分の2ってすごい確率ではあるけど、別に奇跡なんかじゃないんだよ。必ず誰かが当選するわけだし。人間はね、自分の理解を超えた現象を奇跡なんて呼ぶけれど、ネタバレしたストーリーみたいにさ、原因と結果の因果関係を知っていれば決してそんなふうに考えたりしないんだよ」

「でもそれは結局、グランマのみぞ知るわけでしょう?」

「そう。それが必然かどうかなんてボクたちには確定できないんだ」

「もしそれが彼女にとって必然的なストーリーだとしたら、ユースケが主役でワタシがヒロイン?」

「そう思わせることが狙いかもね」

「だったら良いな」

「良くないよ。自分の意志が他人によって支配されているかもしれないなんて気持ちが悪いじゃないか」

 良くないのかな、とアリアが首を傾げるのでユースケは、良くないよ、と繰り返した。

「どうしてワタシたちが選ばれたんだろうね?」

「だから、勝手にストーリーを創らない。必然かどうかはまだ不確定だって言ってるじゃないか」

「妄想してるだけよ」

「それがストーリーなんだって。なんだってそんなものを創りたがるんだ?」

「なんでも話して良いって言ったの、ユースケじゃない。一緒に楽しみたいんだよ」

「つまり伝えたいデータがあって、それを共有したいわけだ。だけど、なんでも他人に話す必要はないよね」

 ドライだなァ、とアリアは呟いた。

「だけど、そこにメッセージが隠されているのね。あァ、そうか。本当にストーリーがあるのかどうか確かめるためにグランマを検索しようとしてたんだっけ」

「そう。登場人物に甘んじてる限り、制作者の意図を知ることはできない。ボクたちはストーリーテラーを出し抜かなくちゃいけない――さァ、これで完成だ」

 ユースケはエンターキーを押下する。それからプログラムのファイル名に拡張子をつけると共有フォルダに収めた。

「できたんだ」

「うん。遅れは取り戻せたよ」

 ユースケはパソコンから時刻を確認する。時刻は午後9時40分を指していた。

「早速レッドに報告に行こう」

「待って」

 ホールに向かおうとユースケが席を立った時、アリアは彼の腕をつかんだ。ホールから漏れる逆光に目を細めている。

「なに? 早くレッドに報告しにいかなくちゃ」

「そうやっていつもはぐらかすんだから。まだワタシの質問に答えてないじゃない。ねェ、どうしてワタシにチップを埋めたの?」

「それって、やっぱり答えなくちゃダメ?」

「お願い」

「どうしても?」

「どうしても」

「……わかった。だけど、その質問に答えるためには、ボクから先に質問しないといけないことがいくつかある」

「答えたら答えてくれる?」

「約束するよ」

 じゃあきいて、とアリアは言った。

「アリアはなぜ、ボクを育ててくれたんだ?」

「決まってるじゃない。それがワタシに与えられた役割だからよ」

「それだけ?」

「それだけよ。他に理由が必要?」

「いや……そうだね。必要ないよね」

「そうだよ」

 正直な答えなのだろう、アリアはグランマに遣わされたベビーシッターのようなものだ。だから彼女の答えはユースケにとって予定調和だった。しかしユースケは、すでに充分な年齢を重ね、独りで生きていけるだけの術も持っている。

 アリアの任期は満了しているのだ。それでも彼女はまだ、ユースケの傍にいる。そこをユースケは不思議に思う。

「アリアはもう、ボクと一緒に必要はないんだ。もっと自分のために時間を使って良いんだよ」

「使ってるよ。ユースケは色んなことを教えてくれるじゃない」

「勉強は楽しい?」

「楽しいよ」

「マスターはみんな嫌がるけど」

「どうして?」

「どうしてだろう? きっと、やらされてるって意識がどこかで働いてるんだね。そうなると労働みたいなものだよ」

「グランマは強制しないよ」

「潜在的に、無意識下で拒否してるんじゃないかな? 遺伝子レベルで刷り込まれた本能なのかもしれない」

「理屈じゃ割り切れないけど反発したくなる時期ってあるよね」

「アリアを見てると実感するよ」

 どういう意味かな、と言ってアリアは片頬を膨らませたので、知恵がついてきた証拠だよ、とユースケは返した。

「学習の成果が反映されてるんだよ」

「それって、褒めてくれてるの?」

「まだまだ発展途上だけど」

 ユースケがそう言うと、アリアは両頬を膨らませた。それをみてユースケは、ボクも同じだよ、とつけ足した。

「でもやっぱり、知らないことを覚えるのは楽しいよ」アリアが言った。

「そういうスタンスで臨むのが正しい姿なんだろうね。好奇心があればいつでもどこでも、ひとりでだって学習できるはずなんだ」

「ワタシはユースケがいないと覚えられないよ」

「そんなことないよ。アリアはいつだって自由だ」

「そうかな?」

「そうだよ」

 ユースケがそう言うと、アリアはしばし沈黙する。やがて首を振った。

「ううん。やっぱりそうじゃないよ。ユースケが教えようとしてくれるからワタシは自由でいられるんだと思う。スレイブに学習させるマスターなんて、きっと他にはいないわ」

「じゃあボクが消えてちゃったら、その後はどうする? 勉強をやめる?」

「そしたら存在する意味がなくなるし。意味がないならやめちゃっても良いんじゃない?」

「死ぬつもり?」

「死ぬとかそういうんじゃなくて。元の鉄屑に戻るだけよ」

「失うことは怖くない?」

「そういうのはよくわからないな。死ぬといっても、また別のなにかにリサイクルされるはずよ」

「学習した意味がなくなっちゃうね」

「意味が必要? 手段と目的が逆転しているわ。ストーリーを残すために語っているわけじゃないでしょう? あれ、これって入れ替わりトリック?」

「ごまかすなよ」

「ユースケもね。さァ、ワタシは正直に答えたわ。今度はユースケの番」

「きっとふたりとも傷つくことになる」

「それでも聞きたいの」

 沈黙の中で二人の視線がぶつかり合う。アリアの視線はユースケを捉えて離さない。

「……わかった」

 ユースケは根負けし、肩を落とした。口にすればもう後には退けない。

「なんでワタシにチップを埋めたの?」

 アリアが再び問うと、ユースケは静かに口を開いてただ一言、

 ――意味なんて無い。

 そう言った。また微かに空気が振動する。

「どうなるのか試してみたかっただけなんだ」

 それは刹那的に、そして瞬間的に、欲求を満たそうとする行為だった。そこには深い訳も、深い思慮も、語るべきストーリーもない。なにもない。

 あったのはただ、純粋な好奇心だけだった。

 ネコを殺すように、幼いユースケは禁忌を犯してしまったのだ。それがどれほど取り返しのつかない事態を招くかも想像できずに。それをなにかに活かすつもりもない。ただ実験をしただけだった。ただ検証をしただけだった。

 ――意味なんて無い。

 ユースケの拙いセリフが実体を伴い、アリアの耳に届く。

 それからその波は拡散し、静寂が訪れた。

 アリアは動じることなく、ユースケの口許を観察している。その唇が閉じられた時、彼女もただ一言「それだけ?」ときいた。

「それだけだよ」

「……そっか」

「驚かないんだ」

「知ってたから」

「嘘をついてるんじゃないか、って疑ったりしないの?」

「ついてるの?」

「ついてないよ」ユースケは正直に答えた。

「ついてくれれば良かったのに」

「嘘だとわかってても?」

「真実なんて関係ないわ。ワタシにとって、ユースケが語るストーリーだけが現実なの」

「善処するよ」

「ありがとう。人間にしてくれて」

 皮肉ではない。アリアはユースケに感謝の言葉を述べている。左の掌を開いてかざすとマスターである証が透けて見えた。しかし人間になったわけではない。非合法的に社会的地位を得ただけだが、それでも、その気持ちに偽りはないようだった。

 少女の純粋な瞳がユースケの記憶を乱れさせる。

「後悔してる?」

「してない、と思う」

 ユースケは曖昧に返事をした。しかし「後悔しているかもしれない」くらいで「後悔している」わけではない。自分が犯した過ちのはずなのに、彼は精確に思い出せないのだ。

 ナノチップを偽造し、アンドロイドに埋めることは、ユースケにとって造作もない作業だった。その記憶は、まるで画面越しにある素人投稿写真のように不格好で、不鮮明に色あせている。それこそ起きたら顔を洗うように無感動に。生きている意味なんて考えないように、無意識に実行できてしまったから、

 実行した。

 ただそれだけだ。およそ凡人には実行できないだろう試みをユースケは簡単に実行してしまった。それこそ後悔する暇もないくらい簡単に、実行してしまったのだ。

「じゃあ、どうしてエンジニアになることを諦めたの?」

「向いてないと思ったからさ。レッドにも言われただろう? ボクは神様には――エンジニアにはなれない」

「そんなこと気にする必要ないじゃない。むしろワタシが消えたら安心できるんじゃない?」

「それはないよ」

 ユースケは即座に否定した。それこそ自殺行為だ。消えてほしくない。切にそう願っている。誤って削除したデータのように、アリアが消えてしまえばそこに大きな穴が開く予感が確かにある。

 アリアを改造したことは、ユースケにとって記憶にも残らないような日常的な出来事だった。そのはずなのに。後になって「それは禁忌なのだ」と知ったのだ。そして、その日を境にユースケの腕は鈍った。

 しかし彼はそこに因果関係を結び付けることができない。罪を犯したという自覚はあっても悔い改めることができず、矛盾を抱えて動けなくなってしまっている。なにがわかっていないのかがわからない。そんな深みに嵌まっているのだ。

「ボクはどうしたらいいんだろうね?」

 ユースケが問うと、アリアは彼の肩を叩いた。偽りなく、衒いもなく。いつもの口調で彼女は笑う。

「やだなァ。そんな暗い顔をしないでよォ。懺悔しに此処まで来たわけじゃないでしょう? 済んじゃったことはしょうがないじゃん。もっと前向きに生きようぜィ」

「アリア……」

「ワタシが消えちゃうことでユースケが自分を見失ったら、それこそワタシのいる意味がなくなっちゃうよゥ。なんならチップを外して、ただのスレイブに戻しても良いんだぞゥ?」

「そんなことできないよ」

「せっかくチート級の才能を持ってるんだからさァ。マキオにも教えてあげれば、きっと泣いて喜ぶわよ?」

「二度としない。誓うよ」

 ユースケは胸に手をあてて宣言する。アリアは白い歯をみせた。そうやってこれまで何度も救われてきたのだ。

 しかし今回は、ジャンクデータのような違和感を覚えた。

「アリア、目を見せて」

 アリアの顔を両手で包み、間近に引き寄せる。瞳孔の色彩でバッテリーの残量が確認できるのだ。普段は濃いオレンジ色をしている彼女の目は今、色素が薄くなっている。

「全然充電できてないじゃないか」

「きっとダイエット中だからだよ」

「なにを訳のわからないことを……ほら、もう一回充電しろ」

「大丈夫だってェ。もう予定時間が近づいてるし、早く報告に行かないと」

「良いから。いつ次に充電できるかわからないんだぞ」

 時刻は午後9時55分を指している。しかしユースケは、アリアを引き寄せて自分の首を差し出す。

 ふたりの影に中央ホールから別の影が重なった。

「取込み中でしたか?」そう言って顔を見せたのはレッドだった。

「いえ。えっと……なにか?」ユースケは慌ててアリアを放す。

「進捗の確認をしにね」

「2分前に完成しました」

 納期までに完成させているから問題ないだろう。そう考えて、ユースケはウソの申告をした。

「それなら結構ですが、余裕を持って報告するようにお願いします」

「すみません」

「もうひとつ、みなさんが集まる前に話さなければいけないこともありますしね」

 完成した検索エンジンをビルドさせるためにユースケたちは集まらなくてはいけない。

 マフラーをなびかせながら振り返り、レッドはホールを気にした。

「入っても?」

「どうぞ」ユースケは自分の座っていた椅子を空けて招き入れる。ジャケットを羽織り直し、それからアリアと並んでベッドに腰掛けた。

「なんでしょうか?」

「食事の前に話したでしょう。消える順番ですよ」

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