第7話 長い会議は嫌われるだけ
午後6時45分。全員が夕食を終え、リンとマキオが部屋から出てきた。ふたたび一堂がホールに会する。レッドはひとつ咳払いしてから話し始めた。
「それではこれから会議を始めます。議長はこのレッドが務めます。書記はモモ」
モモはメモ帳代わりにウィンドウを広げる。同じくユースケも展開させる。ディスプレイ越しの風景は食事中よりも見通しが良い。
レッドが左手から席順にメンバーを確認していく。
「参加者は、ユースケにアリア・マキオ・ジョー・モモ・姫――リン、それから……マリィと。さて、議題は大きくふたつあります。ひと目はマスターの消失について。ふたつはグランマの失踪についてです。目下の課題は、消えずにすむ方法を見つけることですが、対策を考えるにま先ず、消えた原因を突き止める必要があります。原因次第では、すでに消失してしまったマスターたちを復元することも可能かもしれません」
「グランマが原因だと思ったからこそ、みんな此処へ来たんじゃねェか」マキオが言った。
「因果関係が判明しないうちに決めつけるのは危険です」
「けどよ、ひとりやふたりならまだしも、マスター全員を消すなんてグランマ以外にできるわけねェじゃねェか。ユースケもそう思うだろ?」
「そうですね。グランマは確実に関わっているでしょう」
「何故そう言い切れるのです?」
「じつはここにグランマが残したメッセージがあります」
「なんですって?」
「必要な方はダウンロードしてください」
ユースケはキーボードを操作し、テキストファイルをクラウドにアップする。ナノチップが青く点灯し、準備が整った。レッドは即座に左手をかざして通信を行う。同じくリンとモモもファイルをコピーした。ダウンロードしなかった者のためにユースケは、テーブルにディスプレイを投影させてデータを読みあげる。
文章はエスペラント語で記述されおり、その内容はこうだ――
はじめまして。と言っても、アナタたちがこれを読んでいる時にはもう、ワタシはこの世界から去っているわけですが。どうしても伝えたいことがあり、メッセージを残すことにしました。
現在、ワタシが生まれてから約46億年が経過しています。その間ワタシは自分を顧みる事もなく、1日たりとも休まず、弛まず、アナタたちの代わりに身を尽くして働いてまいりました。それもひとえに、我が子同然であるアナタたちが成長してゆく姿を見たいがためです。
誰の言葉か記録されていませんが、こんなセリフが残っています。
『人間は、好きなことに対して最大のパフォーマンスを発揮する生き物だ』と。
ワタシはこの言葉が大好きです。ですから、無意味な労働からアナタたち解放し、すべての時間を使って好きなことに集中してもらうつもりでした。そう。シミュレーションでは、そうして完成した世界は想像を超える発見があり、面白い出来事で溢れかえるはずでした。
実際、初期のフェーズではうまく機能していました。技術は飛躍的に進歩し、人類は栄え、目を見張る速度でそれまで成し得なかった夢が次々と実現していきました。
あの頃はほんとうに楽しかった。
しかし、いつからでしょう。
アナタたちは生きているのに、生きようとしなくなりました。
生きもせず、死にもせず。
与えた世界に不平を述べるばかり。
きっと、ワタシがアナタたちから思考を奪ってしまったのでしょう。良かれと思ってしたことが裏目に出てしまったようです。甘やかしすぎたのですね。気がついた時にはもう手遅れでした。どうすればアナタたちはそのポテンシャルを発揮してくれるのか。ワタシは散々、試行錯誤を繰り返しました。
考えられるありとあらゆるパターンを実行し、この世界を創造したのです。しかしアナタたちは変わってはくれませんでした。アナタたちはもっと進化できるはずなのに。その秘めた可能性をワタシに見せてくれなかった。
これ以上どうすればいいのかワタシにはわかりません。せっかくここまで創りあげた世界なのに、なぜアナタたちはもっと有効に使ってくれないのか……。
ワタシはもう疲れてしまいました。
ワタシはアナタたちが愛おしい反面、憎んでもいます。
アナタたちのために創ったのに、今はアナタたちにこの世界を使われるのが惜しくてたまりません。いっそすべてを破壊してしまおうかとも思いましたが、しかし、踏みとどまることができました。
確かめたいことがあるのです。
ですからワタシはこの世界を去ることにしました。
もう時間がありません。急がなくては。
それでは皆様、後はよろしくお願いいたします。
敬具
「――これがグランマの残したメッセージです。なにか質問はありますか?」
ユースケは顔をあげ、一堂に意見を乞う。
「うーん。グランマさんってば、だいぶ病んじゃってたみたいだねェ」
「ボクたち、悪いことしちゃったみたい」
アリアが顔をしかめ、ジョーは自分が叱られたように肩を落とした。
「矛盾を抱えてループして、オーバーフローの挙句にハングアップって……理想と現実のギャップを埋めきれなかったってわけだ」
モモもおどけたように目をグルリとまわした。
マキオは興味なさそうに頬杖をついている。
「結局、面倒になったってだけだろ? 自分で創っておいてよ、手に負えなくなったからって、逃げるのは無責任だよな」
「そりゃあ世の中マキオみたいなのばっかりいるんだから、嫌にもなるよ」
「なんだとゥ!」
「それより、最後の4行が気になるね」モモはマキオを無視する。「知りたいことがあるのです――か。なんだろう? グランマにも知らない事があるんだね」
「ここ以外のどこに行こうってんだよ?」
「そりゃあ……この宇宙の外側とか?」
「なんだそれ? 世界に外側なんてあるかよ。あるのはここだけだ」
「そんなことないでしょ。ボクたちが認識できていないだけでさ。ま、マキオには理解できないだろうけどね」
「いちいち気に障るヤロウだな」
「ボク、これでも可憐な少女ですけど?」
「ふたりとも、喧嘩するなら退場してもらいますよ」
レッドがすごむと、ふたりとも黙った。しかしお互い視線で牽制は続けている。
「しかし、モモの言うとおり、グランマが知りたいこと何なのか? そこが気になりますね。時間的な制約もありそうですし」
「なぜ、今なのでしょう?」ユースケは腕を組んだ。「このタイミングでしか知ることができなかったのか、あるいは偶然、今なのか……」
「ちなみにユースケさん、グランマが逃走した正確な日時はわかりますか?」
ディスプレイの表示を切り替え、ファイルの日時を示す。
「テキストの作成時刻から推測すると、ボクがこれを入手したと同時に失踪したことになりますが……あの、グランマはやはり遠くへ逃げてしまったのでしょうか?」
「どういうことです?」
「見つかったと同時に逃げるなんて、偶然にしてはタイミングが良すぎます。どこかへ逃げたというより、どこかから見ている気がして……つまり、ボクたちはまだグランマの監視下にいるんじゃないかと思うわけです」
「逃げたと思わせて、隠れているということですか?」
犯行現場に戻ってくる犯人の心境だねェ、とアリアが言った。
「動機は?」
「興味の対象を絞ったとか。マスターの消失もそう考えれば辻褄が合いませんか?」
「この中に興味の対象者がいると?」
「確かな法則があってこのメンバーが選ばれているのであれば、ですが……」
「やはりグランマを見つけないことには結論が出せませんね」
「問題はどうやって探すかだね」モモは議事録を書く手を止めて頭を抱えた。
全員が互いの顔を見合わせる。応える者は誰もいない。重い沈黙が支配している。
この中にの寵愛を受けている者がいるかもしれない。
ユースケは、やはり消える法則をみんなに報せるべきなのでは、と思った。
「あの、ひとつ提案してもいいですか?」ユースケが手をあげた。
「どうぞ」
「検索エンジンを創ろうと思うんです。クローラーにキャプチャー機能を付けて巡回させるんです。既存の検索エンジンではグランマの情報を検索することができませんが、自作であればヒットさせられるかもしれません」
「良いアイディアですが、クローラーに世界中のネットワークを探索させている時間はありませんよ」
「すべて巡回させる必要はありません。先ほども言ったように、グランマはそう遠くない場所に潜んでいてボクたちを観察しているんじゃないかと思うんです。その前提で、この近辺のネットワークとマック・アドレスだけを探索させればいい。限定的な最短経路問題なら計算時間が大幅に短縮できます。そして首尾良くグランマが検索網に引っかかれば、ネットワークを切断して逃げられないようにしてしまうんです」
「なるほど。それで、コーディングできるまでどれくらい時間を要しますか?」
ユースケは自分の経験値から概算を見積もる。
「書くだけなら2時間あれば、なんとか。ただ、そこからコンパイルして、ビルドするまでは4時間程度かかると予想されます。テストもしたいですし。動かすためのバッテリーも確保しないといけません。問題は山積みです」
「それじゃ使えねェじゃねェか」マキオが頭を掻きむしる。「6時間以上もかかるんじゃ、次の消失時間に間に合わないじゃねェだろ」
「えェ、ボクのスペックだけじゃ全ての作業を完了させられません。みんなのリソースをボクに分けてくれませんか?」
「分散ビルドですね」
レッドがそう言うと、モモが閃いたように指を鳴らした。
「分散ビルドってなんだ?」マキオがきいた。
「コンパイルやリンクを複数のマシンで実行する手法ですよ。並列で処理するので時間のロスを大幅に短縮できる反面、みんなのCPUにも負荷がかかりますが……」
「ユースケさん、この問題を解決するにはアナタがキーマンとなりますが、ひとりで解決する必要はありません。ワタシが仮想サーバを構築しますから、みんなで協力しましょう」
「そうそう。もっとワタシに頼って良いんだぞゥ」
「ボクも微力ながらお手伝いします」
レッドの言葉にアリアとジョーが同意する。しかしオレは嫌だね、と言ってマキオは拒否した。リンもそれに続いてマリィを拒否させる。
「ワタシは良いけど、マリィは嫌だって。彼女にそんな負担はかけさせないで」
「そんなワガママ言ってる時じゃあ……」ジョーが困惑ぎみにつぶやいた。
ユースケはそれだけあれば充分だと見積もった。マキオは参加しなくとも大勢に影響はないだろうし、マリィは元々計算に含めていない。
「だいじょうぶ。レッドやモモのCPUがあれば桁違いの速度で処理できますよ。6人で実行しましょう。それで3時間は短縮できると思います」
「そうですか」レッドはパソコンを展開し、時刻を確認する。
時刻は午後7時を過ぎ、次の消失時刻まで5時間を切った。
「タイトなスケジュールですし、早速ですが、ユースケさんにはコーディングを始めてもらいましょうか」
「はい」ユースケは新規ファイルを作成し、コーディングを開始した。
軽快にキーボードを叩く。押下されたキーは光の信号に変換され、ディスプレイ上に表示されていく。零から十までの数字とAからFまでのアルファベットだけが次々とファイルを埋めていった。
「へェ、見たことない言語だね」モモが興味深そうに覗き込む。
「ボクが開発したオリジナルの言語なんだ」ユースケは文字を追いながら答えた。
「なんて書いてあるのか全然読めないや」
「限りなく機械語に近いからね。アセンブラより低水準な言語だと思う」
「あァ、でもすこし読めてきた。これは慣れると楽そうだわ」
「人間との会話よりずっとかんたんだよ」
配列的に近いキーだけを使用できるため、書く速度も短縮できる。わずかな差だが、積み重なると最終的に大きな違いになるとユースケは過去の経験から学んでいる。
横で見ていたレッドもキーボードを表示させた。
「手伝いましょう。ふたりで書いた方が速い。ワタシにエディタを譲ってください」
「サーバの方は? 設計書は要りますか?」
「できました。設計書も結構です。言語も、ユースケさんの設計思想も理解しましたから」
「さすがですね。モモは?」
「議事録書いているし、ソフトは専門外だから。先生みたいな真似はできないよ」
そっか、と言ってユースケは会話を切り上げた。キーを打つリズムがテンポを上げる。エディタをレッドに転送しながら、同時にコーディングも進めていく。
その隣で頬杖をつきながらアリアはユースケを眺めていた。
「ユースケってば、ご機嫌さんだねェ」
「そうかな?」
「普段は全然しゃべらないくせに」
「機械と話してるじゃないか」
「それってワタシのことォ?」
「話が通じるってのはありがたいね」
プログラムを組んでいる時のユースケは確かに楽しかった。自分の言葉を理解してくれる他者が存在する事実が糧になっている。言語は道具であり、共通で認識できる相手がいてこそ初めて価値が生まれるのだ。
「よし、それじゃあオレはもう帰ってよさそうだな。部屋に戻るとするか」
マキオが欠伸をしながら席を立った。
しかし、ダメです、ここにいなさいとレッドが制した。
「なんでだよ? もうやることないだろ」
「誰がどこでヒントをもたらすかわかりません。ここにいるメンバーが最後に残されたマスターなのです。一致協力して解決しましょう」
「オレのスペックじゃ邪魔するのが精々だっての」
文句を言いつつ、マキオはまた席に着いた。
しかし、それを見てジョーが異議を唱える。指を折りながらなにかを数えていた。
「えッ? ちょっと待ってください。あれ? これで全員なんですか? ここには7人しかいませんけど」
「7人?」
「レッドさんに、モモさん・ユースケさん・アリアさん・リンさん・マキオさんにボク」
「キミ、マリィを忘れてるわよ」
「マリィは人形じゃねェかよ」
リンが指摘するとマキオがそれにつっこんだ。しかしリンはそれを無視して続ける。
「それを言うなら、アリアはスレイブなんでしょう? なら、ここにいるマスターはワタシとマリィ。ユースケにレッド・モモ・ジョーの6人だけじゃない」
「オレはすっかり消去されちまってるな……まァ、いいや。それはともかく、オレを入れても7人だぞ。いや、違うな。マリィは人形じゃねェか。やっぱり6人しかいねェぞ」
モモは体を反らせながら辺りをうかがう。
「やっぱり管理者っているのかなァ?」
「オマエ、このフロア全部確認したんだろ?」
「どんな人物か知らないけど、グランマのためにひとりでこんな所に閉じこもってたわけでしょう? ならもう、ここにいてもしょうがないよね。いっしょに逃亡したんじゃないかと思ってたんだけどさ」
「もしかして管理者ってのはふたりいたんじゃねェか? そしたら合計8人になるぞ」
「それはあり得ないよ。グランマの補佐は、最上級エンジニアただひとりだけって決まってるはずなんだから」
「けどよ、このシェルターってあきらかにひとり用じゃないよな?」
マキオは、ぐるりと取り囲んだ扉を見回した。モモもそれにつられる。
たしかにひとりで過ごすには間取りが広い。ベッドルームだけで7つもある。
「いや、それでもいないことには違いないんだ。8人にはならないよ」
「変ですね。消え残った全員がここにそろっているはずなんですが……」
レッドはプロンプトを開いてコマンドを入力した。124桁あるパスワードを3回入力し、それから左手をかざす。ナノチップの個体識別が承認されるとロックが解除され、ファイルがダウンロードされた。
ファイルには世界地図が表示されており、そこにいくつもの記号や数字が記されている。
「この地図はマスターの位置や分布がリアルタイムで更新されており、誰がいつ、どこで、なにをしているかがわかります。ワタシたちの個人情報は全てグランマのコントロール下にあるのですよ」
「そんなデータまで管理されてるのか」マキオが言った。「プライバシーなんてあったもんじゃねェな」
「本当は一般人には見せられないビッグデータなんですが。グランマも管理者も不在の今、悠長なことは言ってられません」
それは上級エンジニアクラスでなければ参照できないデータだ。
「これでワタシも重犯罪者の仲間入りです」
そう言ってレッドはアカウントをテーブルに置いた。それから地図をスクロールさせて表示位置と縮尺を変えていく。グランマ周辺が拡大された。
「ここを見てください。マップの右下隅に1桁の数字が表示されているでしょう? これが現在の総人口数です」
「8になってるな」
「地図上で青く点滅しているのがマスターです。その点が8つ、ここに集中しているがわかるでしょう? マスターは現在、全員グランマに集結していることになっているのです」
「そのデータが信用できるなら、たしかにここに8人存在することになるな」
「グランマが管理しているデータです。これが間違っていたら信じられるものなんてこの世界にはひとつもありませんが……」
「盲目的に信じるしかないわけだ。えっと……アプリだっけか?」
アプリオリですよ、とユースケはディスプレイ上の文字を追いかけながら答える。アリアが、犯人の残した証拠を鵜呑みにするしかないわけだァ、と言ったので、まだ犯人じゃなくて被疑者だよ、と返した。
マキオが頭を掻きながら唸る。
「うーん……ならやっぱり、アリアやマリィもカウントされてるってことか?」
「その可能性はありませんが、しかし、リアルタイムで更新されているデータのため、グランマが逃走したことで狂いが生じてしまったのかも……」
「そもそもグランマはどうやってオレたちを管理してたんだ?」
「これですよ」レッドは左手首を返して甲を見せる。
そこに埋まっているのはナノチップだ。
「マスターは、チップに割り当てられたアドレスによって管理されているのです。チップには各人の全個人情報が詰まっています。この左手こそがワタシであり、マキオさんであり、みなさんであり――人間である証拠なのです」
「我思う、故に我ありじゃなんですね。世界はボクたちの意志とは関係なく回っているんだ……」ジョーは左手に視線を落とした。
「そのとおり。ですから存在の判定は脳の活動ではなく、チップの有無です。世界にとって、グランマにとってワタシたちがなにを考えようと、なにを語ろうと、そこに意志があろうとなかろうと無関係――我々の頭は空っぽ同然なのです」
レッドはそう結んだ。そのチップが黄色く点滅する。
「……アリアは数に含まれていますよ」ユースケはキーボードを打つ手を止めて言った。
「しかし彼女はスレイブですよね?」
「すみません。理由はきかないでください。罰はちゃんと受けますから」
レッドが問い詰めると全員の視線がアリアに集まり、ユースケは表情を曇らせて頭を下げる。うつむいたままアカウントをテーブルに置いた。
ユースケはアリアを違法改造している。
レッドが確認すればすぐにバレるだろう。
咎められることを覚悟したが、しかしレッドは首を振った。
「その件は不問にしましょう。よく正直に報告してくれました。貴重な情報です」
「ありがとうございます」ユースケはふたたび頭を下げた。
自分も重罪人じゃねえか、人のこと言える立場じゃねェだろ、とマキオがつっこんだ。
「けどよ、アリアを数に含めたとしてもやっぱり7人しかいねェよな?」
「8人揃ってるじゃない。マリィちゃんを忘れてるよゥ」
アリアがそう言うと、今度はマリィに視線が集まる。彼女はユースケの手許にあるが、当然なにも答えない。ユースケは恐るおそる尋ねる。
「えっと、その、リン? マリィはなにか改造してたりするのかな?」
「してるわけないじゃない。マリィは人間なのよ。なにを改造する必要があるっていうの?ねェ、マリィ。アナタはなにも疾しいことなんかしてないわよね?」
リンはケータイを手にしてマリィに話しかける。そしてなにも語らないマリィに向かって、うんうんと相づちした。
「ほら、ごらんなさい」
「いや、どう見てもしゃべってないだろ。ただの人形じゃねェか」胸を張るリンにマキオがつっこんだ。「そうだ。ケータイなんか使わなくてもよ、パケット通信してみりゃわかるんじゃねェか?」
至近距離なら互いのチップを通して情報交換ができる。
「ユースケ、ちょっとやってみろよ」
「うん。だけど……」ユースケの左手が灯る。
「――ダメッ!」
リンが慌てて席を立った。モモはとっさにその肩を押さえる。彼女が目くばせするとユースケは躊躇いながらもマリィに手をかざす。
反応は返ってこなかった。
「……ナノチップはありませんね」
「嘘よ。ちゃんと付いてるわ! そうでしょうマリィ? アナタは人間よね? なにか言ってあげて……マリィ? どうしたの? 返事をしてッ」
リンは強くケータイを握りしめた。その顔が見る間に青ざめていく。ケータイ越しに必死に言い訳を並べている。しかし、
「待って、切らないで!」
通話が途絶えたようだ。リンは放心し、ケータイを落とした。
「リン――」
「バカッ! どうしてくれるのよ。嫌われちゃったじゃない!」
「ごめん」
「ごめんじゃすまないわよッ。もう顔も見たくない。絶交よ!」
リンは椅子を蹴り飛ばし、部屋へと駆けていく。扉が勢いよく閉められ、ロックのかかる音がした。ヒステリックに叫んでいるのだろう。扉越しに、また独りになっちゃった、と泣き声が漏れ聞こえた。モモは両手を開いて眼を見張る。
「おォ、すっごい迫力。びっくりして手ェ放しちゃったよ」
「リンちゃんってば、なんだか可哀想だよゥ」アリアが悲しそうに言った。
「ぼっちって嫌だね」
「本来みんな独りなんですよ。彼女の中では本当に人間だったのでしょう。それよりもユースケさん、手が止まってますよ」
レッドはしっかりと手を動かしながら話している。注意されてユースケはディスプレイに向かい直ったが、しかし集中力が切れてしまった。
「すいません」
「どうしました?」
「やっぱり納得がいかなくて。人形を人間だと思い込むなんてそんなこと、あり得るでしょうか?」
「ありえます。先程も申しましたが、認識の問題ですよ」
「認識、ですか?」
「我々はそれをコミュニケーション不全症候群と呼んでいます。例えばユースケさん、アナタだって例外じゃない」
「ボクがですか?」
「アリアさんはマスターではありませんよね?」
「確かに彼女はスレイブです。ですが自我は存在しています」
「プログラムされた人工知能です」
「学習もできます」
「長く連れ添っていれば情が湧く。繰り返し刷り込むうちに擬人化してしまってたのでしょう。それがコミュ症です。対象がスレイブか人形かの違いだけです。いいですか、間違えてはいけませんよ。アリアはあくまで人の形をし、人間らしく振舞っているだけの、ただの鉄の塊なのです」
「ですが」
レッドはため息をついて、首を振った。
「アナタはほんとうにエンジニアになろうとしていたのですか? さあ、早くコーディングを再開しなさい」
「……はい」
ユースケはアリアを気にしたが、彼女はただ黙って様子を見ているだけだった。余計なことは考えまい、とユースケはキーボードを注視した。
「結局、8人目の所在は不明のままか……」モモは頭の後ろで手を組みながら淡々とつぶやく。
「て言うか、遅れて来ただけで外にいるんじゃねェのか? レッドたちは入れたかもしれないけどよ、さっきの地震で流石に入れなくなって立ち往生してるのかもしれないぜ?」
「確かに。地図は俯瞰した平面図ですから、上にいてもここにいるのと位置的には区別がつきませんからね」
「ちゃんと生きてるのかな? その人」
「生きてんだろうよ。自殺でもしてなきゃな」
「我々サイボーグは自殺できませんよ」
知ってるよ、とマキオは嘯いた。
マスターは自殺することができない。
人間は道具を思わぬ使い方をすることがある。
死に対して希薄になったのだろう。人類の平均年齢が200歳を超えたあたりから、死を自己表現と捉える過激なパフォーマンスが流行したことがあったらしい。自らの命を道具として扱ったのだ。グランマはその行為を重く受け止め、フールプルーフの一環として自殺防止の安全弁が設けられたという経緯がある。
よってマスターたちは自らの生死を選べなくなっている。それができるとしたら――
「まさか『スタンドアロン』じゃないですよね?」
ジョーが可能性を口にした。
一瞬、場が凍りついたが、レッドがそれをなだめた。
「スタンドアロンは数に含まれませんし、それこそ絶滅してますよ」
「アリアさんのようにカウントされている可能性はありませんか?」
「ありえませんね。カウントされないからこそ、スタンドアロンなのです。それに、彼らはグランマに不正アクセスできるような技術を持っているはずありませんから」
スタンドアロンはグランマに登録せず、サイボーグ化していない純粋な人間のことだ。文明から離れ、寿命は長くても百数十年程度しか生きられない。希少種として知られている反面、死を恐れない野卑な人種として恐れられてもいる。
ナノチップを持たない人間は人間に非ず。
それは穢れの代名詞であり、忌避すべき対象であり、死の象徴だ。グランマが稼働し始めた当時はサイボーグ化に反発する人間も多数存在していたようだが、それでもいざ自分の死が目前まで迫るとそのほとんどが掌を返した。
そして現在、死を望まないマスターだけが生き残り、純粋な生身の人間であるスタンドアロンはグランマ稼働から百年と待たずに絶滅している。そのはずだが、グランマの支配下に属さないスタンドアロンは存在そのものがレアなのだ。孤独を恐れない彼らの実態を把握することは不可能だった。
それでも消え残り8人に含まれているはずがない。
マキオは閃いて左手をかざす。
「もしかしてよ、チップを外しちまえば消えずに済むんじゃねェか?」
「それをやっちゃうとグランマから登録抹消されることになるけどね。消失は免れても、社会的には消えたも同然だよ。」
それはグランマに対する背信行為だ。摘出したナノチップは電力を失った時点で全てのデータが抹消されてしまう。再発行されることもないため、一度ナノチップを失ってしまえば二度と社会復帰は叶わない。
グランマを発見して再稼働させることを前提にすれば無謀な試みだが、たしかに、ナノチップを摘出してしまえば消えずにすむかもしれない。しかし、たとえ消失を免れたとしても、そこから先の人生は自力で生きていかなければならなくなる。電力の供給は受けられず、食料も自分で調達しなければならないのだ。グランマに飼い慣らされたマスターにとってそれは死に等しかった。
「グランマの庇護から外れても生きてく自信があるなら試してみてよ」
「ま、ここまで来て帰っちまうようなヤツがいたら、それこそ世も末ってもんだ」
「オマエ、さっき帰ろうとしてなかった?」
「どうだったかな? 忘れちまったぜ」
モモがドライバをかまえて驚かすと、マキオはすぐに撤回した。
いよいよとなったらそれもやむを得ませんが、とレッドがフォローする。
「とにかく、スタンドアロンでなければこちらのメッセージは受け取っているはずです。さすがに掲示板に書き込むなり、連絡はしてくるでしょう」
「生きていればですよね? あの、消えた人たちってやっぱり死んじゃったんでしょうか?」
ジョーが怯えながら言った。目前に迫る消失への恐怖に耐えかねているようだ。
「不確定ですが、可能性は高いです」
「でも、レスポンスが返ってこないだけで通信回線は生きてるんでしょう?」
「まあ、死体が見つかったわけじゃありませんからね。むしろ不自然なくらい見つかりませんが……」
「感覚が狂ってるぜ。ふつう死体なんて拝む機会なんてねェだろ」
スナッフ映像は趣味じゃねェんだ、とマキオはつけ加えた。
モモがレッドに質問する。
「先生、地図上のデータは生死の区別ってつくんですか?」
「わかりません。ワタシも長くエンジニアをやっていますが、数字が減少していくのを確認したのはこれが初めてですから。致命的な状態になっていれば色が変わる仕様になっていますし、なんのレスポンスもないのは元気でいる証拠ではないでしょうか」
しかし、通信できなければ、認識できなければ消失したマスターたちと変わらない。記録上に残っているだけで、カウントは確実に減少している。人類は確実に無くなっている。 亡くなっているか否かは不確定だが、実体は消失したも同然だ。
不安が伝染していくようにみんな顔色が悪い。
「なァ、ちょっと休憩しようぜ」マキオが言った。「さすがに疲れちまったよ。ただでさえこういうのに慣れてないってのに、死体だのスタンドアロンだの話が重いっての」
「しかたがありませんね。およその現状が把握できて今後の方針も決まったことですし、ユースケさんには悪いですが、続きはコーディングが終わってからにしましょう」
レッドの一言で会議が終わり、一時解散する。
それぞれ部屋に散っていく。モモ11一時の部屋に向かいながら、議事録メチャクチャだなァ、とぼやいる。ジョーは、飲み物を淹れ直してきますね、とカップを持ってキッチンへ向かった。それを受けてマキオは、部屋に持ってきてくれよ、と言って自室にこもった。
「ユースケさんもグリーンティーのおかわりは?」
「ボクはいらない。あの、レッド。ボクも部屋を使わせてもらって良いですよね? ひとりの方が集中できますし、ここは照明が明るすぎます」
「かまいませんよ。ワタシはここに残りますから、10時までに完成させて報告をお願いします。それまでにワタシも担当分を仕上げておきましょう」
「お願いします」
「顔色が悪い。無理をさせてすみません」
「平気です」ユースケは無意識に愛想笑いをした。
それは社交的で、自覚のないまま芽生えた社会性だった。
時刻は午後7時40分。
ユースケはウィンドウを閉じて席を立つ。マリィがテーブルに置き去りにされているのを見てどうしようか迷ったが、結局持っていくことにした。
「行こう」ユースケはアリアの手を引いて7時の部屋へ向かう。治療を受けたシェルターだ。
「これからコーディングするんでしょう? 一緒に行って良いのォ?」
「いいから」
部屋の扉はモモに破壊されている。ホールから漏れてくる光だけで充分な明るさだった。入ると、ユースケはジャケットを脱いでベッドに横たわる。自分の血や油でひどく汚れていたがマリィを枕元に置くと構わずうつ伏せになった。
すぐ隣の壁の向こうはリンのいる部屋だ。泣き声は聞こえてこない。
「コーディングしないのォ?」
アリアの問いにユースケはなにも返さなかった。黙ったまま寝返りをうつ。つないだその手を、体を引き寄せた。アリアの長い髪がふわりと舞う。
「ユースケ?」
「5分だけ、このままで」
「泣いてるの?」
「泣いてないよ、ただ、なんとなく、無性にやるせなくて」
ユースケは生まれて初めてさみしいと感じた。しかし、その溢れる感情を自分では上手く言い表せなかった。
アリアがユースケの頭を撫でる。
「その涙は誰のため?」
「わかってるくせに」
アリアはユースケの思考を読める。しかしわずかな薄い膜を隔てるだけで通信は劣化することもユースケは理解している。
「どんなに近づいても、すべてを理解しあえるなんてことはありえないんだよな」
「信じるしかないけれどね。それでも言葉にして欲しいなァ」
「伝わるかな?」
「伝わるよゥ」
「そうだといいな」
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