早稲田大学に現役合格した話【約2,000文字】

オリジナル小説

早稲田大学に現役合格した話

 4年前、中学生だった私は地元で有名な進学校に進みました。

 進学校といっても、さすがに都内の中高一貫には及びませんが、それでも結構ガンバっていました。まわりにはモチベーションの高い級友が多く、私も自然と「誰もが知っている有名な大学に進学したい」と考えるようになりました。

 そしてその想いは、1年の夏には「早稲田大学に行きたい」という明確な目標へと変わりました。オープンキャンパスで輝く早稲田生を目の前にして、「私もこの一員になりたい」と強く思ったのです。

 いや、最初の動機は、早稲田の前で列整理している人が筋骨隆々きんこつりゅうりゅうでイケメンだったという何ともいいがたいものでしたけど……。それでも、早稲田に行けば充実した人生が待っていると本気で考えたのです。

 ですが、時が経つにつれ、私と級友との学力差は広がっていきました。夏休みには当時リリースされたばかりのPokémon GOにいそしみ、勉強は一切していなかったので当然の結果といえるでしょう。

 バリバリ勉学にはげむ彼らと、勉強を習慣づけられなかった怠惰たいだな私。そのダメっぷりは1年の冬、「数字」という言い訳のきかない客観的な物差しで現れました。

 ―偏差値35

 なんと、母校どころか全国をひっくるめてみてもド底辺として正式に認められたわけです。これには放任主義ほうにんしゅぎを貫く父も黙っていませんでした。自らも早稲田大学のOBであるゆえ、思うところがあったのでしょう。

「このまま堕落だらくするなら勘当かんどうする

 と父からの無情な通告を受けたのは高1の2月のことでした。

 私は戦慄せんりつをおぼえました。このままだと家を追い出されてしまう。そうなれば高校生活どころか、早稲田への夢もついえてしまう。

 危機感を募らせる私に、ここでさらなる追い打ちがかかりました。勘当宣言から1週間後、成績不振をかんがみた担任から呼び出しを食らったのです(担任も早稲田OB)。

 身構えつつ職員室のドアをたたき、入室するとそこからさらに個室へと連行されていく。コレはヤバいかもしれない。厳しい叱責しっせきが待っているものと内心おびえていました。

 しかしそこで待っていたものは、担任が早稲田生時代に撮影した写真の数々でした。写真好きだった担任は、大学生活の4年間を膨大なフィルムに収めていたのです。

 そこに映っていたのは季節ごとに移ろいゆくキャンパスの風景。そしてそこを彩る学生の楽しそうな姿、未来への眼差しや表情でした。これらを見て私は「ああ、やはり自分の行くべき場所はここなのだ」と強く心に定めたのです。

 その日から私は気持ちを入れ替えて勉学に励みました。当時の友人はこの頃の私を振り返り、こう言っています。

ナマケモノから修行僧に生まれ変わったようだ」と。

 当時の私に自覚はありませんでしたが、いま考えると別人になっていたのでしょう。なにせゲームの電源を切り、友人と過ごす時間も失くし、取りつかれたように机にかじりついていたのですから。

 2年の1学期はまだ「できない人間」というレッテルを貼られていましたが、夏の模試で偏差値を65まで急上昇させたところで周囲の評価が一変しました。あきらかに「コイツは本気だ」という視線を受け取ったと記憶しています。

 そして勉学に励みさらに1年が過ぎたころ、3年秋の駿台模試で早稲田大学のA判定を獲得するまでに至りました。

 この頃には父はもう、元の寡黙なOBに戻っていました。

 しかし当然、模試もしの成績だけでは入学できません。本番で結果を出せなければ「敗者」です。ですが不思議と不安はありませんでした。劇的に変化した自分に自信がついていたのかもしれません。

 そして受験当日を迎え、帰宅した私。

 母いわく、「受かった顔をしていた」とのこと。

 私の中では「全力を出しきったのだから落ちても悔いはない」ものとして浮かべていた表情でしたが、母は予知でもしていたのでしょうか、結果は文句なしの「合格」でした。2年越しの壮大な夢を叶えた瞬間はさすがに興奮を抑えられず、クリスティアーノ・ロナウドのごとく雄叫おたけびを上げました。

 この経験を経て継続的な努力の大切さを知ることができたのは、今後の人生にも必ず生きてくるでしょう。生意気な言い方かもしれませんが「成功の習慣」が身についたともいえるでしょうか。今後も大学生活を謳歌おうかしながら様々なことに挑戦し、自分や家族の夢を叶えていきたいと思います。

本田奈那子
本田奈那子

 早稲田大学に現役合格なんてすごいですね! 私も勉強見習わなくちゃ💦

コメント

タイトルとURLをコピーしました