【オリジナル小説】シェア・ワールド ~死神の初恋~【第27話】

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第27話 死神の初恋⑲

 それは人の形をした、人ならざるモノだった。

 動くこともなければ喋ることもしない。

 乾燥し、罅割れて、朽ち果てている、人だったモノだ。

 その人外が纏う衣装が更に異様さを強調している。抜け殻のような肢体を覆っているのは包帯ではない。純白の晴れ着だった。

 カンザキは閨に横たわる木乃伊を優しく抱き上げ、振り返る。その眼には麗しき妻女として映っているのだろう。最愛の人を愛でながら恍惚の表情を浮かべている。カンザキだけはとっくに魔法に掛かっているのだ。

「どうだ、見てやってくれ。この生き生きと輝く姿を」

「いいや……そこに在るのは躰だけだ。魂は無い」

「魂なら在るさ。此処にな」カンザキは眉間に指を当てた。

「無いものを在るとしているだけだ」

「貴様は未だこの世の理が理解できていないようだな。いいか、良く聞け。人間はな、生まれてから二度死ぬんだ。一度目は肉体の死。そして二番目は魂の死。魂とは人の情報であり、記憶や記録と置き換えることが出来る。記憶や記録は言葉や文字となり、遍く物語となる。人はな――総ての物語から忘れ去られるまで永久に死ぬことはないのだ。魂さえ在るならば、あとは元の躰に定着させ、治癒術を施してやれば良い」

「魂を呼び戻すなど人智を超えている」

「ならば人ならざるモノの力を借りればいい。妻を眠りから覚ますための条件を整えるために二十年もの歳月を費やしたが、待った甲斐はあった。貴様は今日、何が起きるか知っているか?」

「……日蝕か」

 それはハクロが誕生した日に起きた出来事でもある。記録では、ストーリーテラーなるモノの力が世界各地で怪事件を起こしたとされている。その悪夢が再び訪れようとしているのか。

「今日の日蝕は前回よりも更に強大となる。『最後の審判』が始まれば天の扉が開き、眠りについたモノたちも目覚めるだろう」

「神の力を利用しようというのか」

「神だろうと仏だろうと、本質は言霊と変わらぬ。妻を元に戻すためなら悪魔だろうと手懐けてみせるさ。今度こそな」

「今度こそ――って、まさか!?」

「思えばあの頃の妻は様子が奇怪おかしかった。貴様如きにたなびくなど……きっと、魔が差しただけに違いない。だから死神の子を産むなどと戯言を吐いたのだ。貴様を葬るついでに正気を取り戻させてやろうと思ったのだが……人生とはどうしてこうも思い通りにいかないのだろうな? 不甲斐ない術者どもはあっけなく死んでいくし、裏切り者は続出するし……やはり、ただの狂言では効果がなかったようだ」

「狂っている……」立ち眩みがしてハクロは一歩退いた。「世界が滅ぶぞ!」

「妻のいない世界など滅びたも同然だ!」カンザキは激昂し、叫んだ。「黒武者・ハクロよ。貴様さえ現れなければ、きっと今頃は何もかも上手くいっていたはずなんだ。妻の病気だって、きっと……」

 カンザキは口許を押さえ、背中を丸める。嗚咽を漏らしながら睨みつけるその表情は呪われたように醜く歪んでいた。

「だがそれも今日で報われる。さあ、式を始めよう」

 カンザキは己の下唇を噛み切り、流れた血液を舐め取った。

 命を分け与えるように、魂無き躰に口づける。

 狂気が。

 影が大きく渦巻く。

 カンザキを中心に旋風つむじかぜが巻き起こる。

 全ての灯りが消え、硝子が割れた。

 厚い雲までが吹き飛び、宇宙が顔を覗かせる。

 月明かりは無い。

 太陽も昇っていない――否、隠れているのか。

 既に日蝕が始まっているのだ。

 新月に遮られ、太陽が失われる。

 遍く光を閉ざすと月は西へと移ろいゆく。

 太陽は顔を見せない。

 代わりに視えざるモノが姿を現した

 それは黒い円形の扉だった。

 扉は音もなく二つに割れ、深淵なる闇を覗かせる。

 その闇に吸い寄せられるようにして、瞬く星の光が次々に消えていく。

 膨大な熱が摩擦を起こし、稲光が走る。

 大気が裂け、樹が枯れ、水は干上がり、土は砂と化していく。

 空は闇色に支配され、大地に巨大な影を落とした。

 真っ黒な空間が広がっていき――

 その中心には巨大な目玉が在って――

 嗚呼といた。

 凡百ぼんぴゃくの災厄を孕んだような泣き声だった。

 冥府へ誘う禍々しい呪いの宴が始まる。

 止まない風が怨嗟を運ぶ。

 影が隆起し、人の形を成す。

 過去が――時間の呪縛から解き放たれた者たちが逆行してくる。

 亡霊だ。

 地下牢で殺し合った術者たちだろう。皆痛い、熱い、苦しいと泣き叫んでいる。

 阿鼻叫喚する様をカンザキは冷ややかな視線で見下ろした。

「使えない奴らだが今度こそ役に立ってもらおう」

「亡霊など呼び寄せてどうするつもりだ」

「妻が城を出たあの日を再現するのだ。元々こいつらは城に仕えていた神官どもで、妻が起きている以前の状態を再現し、眠らずに済むようにやり直すためには、存在してもらわなくては困る」

「時間を巻き戻すつもりか……だが、それは概念の上にしか存在しない」

「だが物語ならばこの世に存在する。記憶や記録を改竄するんだよ。ストーリーテラーを復活させ、すべての生者や死者の記憶から妻の眠りを無かったことにする。俺が理想とする新たな世界を構築するんだ」

「させるものか!」

 ハクロは鎌を持ち、祭壇に走った。

 カンザキの思惑が成功すればハクロは生まれなくなり、この世に存在しなくなってしまう。それはつまり、ミコトと過ごした思い出も無かったことにされてしまうということだ。

 術者の喉笛を狙って鎌を薙ぐ。言葉を奪えば呪文は唱えられまい。

 だが刃は喉許まで届かなかった。

 大鎌がその声を奪う寸前、カンザキが云い放つ。

「貴様も――愛する者と逢いたくないか?

 と。

 これこそ正に生者へ送る呪文だった。

 受けたハクロの躰は硬直し、身動きが取れなくなった。肉体的に束縛されたわけではない。心のどこかで望んでいたのだろう、眼の前に在る木乃伊はただの抜け殻だと頭では解っていても、再会を期待したのだ。

 思考が停止し、精神が絡め捕られる。

 術中に嵌まるわけにはいかない。

 感覚の麻痺した両手を無理やり動かし、鎌を突きつける。

 だが、赤子でも躱せそうな緩やかな攻撃では傷一つ負わせることが出来ない。

 カンザキはハクロの横を悠然と通り過ぎた。

 顎をしゃくると亡霊どもがハクロに取りつく。

 物理的なダメージは受けないが、躰が重みを増し、ますます身動きが取れなくなる。

 そこに止めを差すモノが。

「御免なさい」ミコトが云った。振り返ればすぐ後ろに立っている。

「なぜ謝る――」

 問いかけた瞬間、背骨の隙間に衝撃が走った。

 ミコトは深く凭れかかり、そして離れていく。

 後に残ったのは鈍い痛み。

 触れてみると鋭利なモノが刺さっている。

 忍び刀だ。

 ずっと隠し持っていたのだろう、柄が蓮で覆われている。

 刺されたのは心臓に近い位置だった。

 熱が伝わり、赤い雫が溢れ出す。

 力が抜け、ハクロはその場で倒れた。

 タマキが悲鳴をあげる。ミコトを押し退け、這いつくばりながらハクロを探り当てた。

「何ということを! 嗚呼、こんなに血が」

「邪魔をしないで! でないと貴女も……」

 ミコトはもう一本小刀を握っていた。その手は小刻みに震えている。

 タマキはハクロを抱き上げ、ミコトを睨みつける。

「やっぱり貴女は裏切り者の魔女だったのね!」

「違う。私は、魔女なんかじゃない。私は――過去に囚われた亡霊なの」

「呼び方なんてどっちだって良いわ。嗚呼、ハクロ様が死んでしまう」

「死にはしない。黒武者・ハクロとして再生するだけよ」

「意味が解らない」タマキは頭を振った。

「そいつはな――黒武者・ハクロの魂を宿しているのだ」カンザキが云った。「妻の胎内に自分の記憶を植え付け、呪いをかけたんだ」

「呪いなどではございません。子を成すために営まれる自然な行為です」

「いいや、呪いだ。そのために妻は純潔さを失ってしまったのだ!」カンザキは顔を歪め、唾棄するように云い捨てる。「本当ならば顔も見たくない」

「ならば見なければ良いものを――何故、墓を掘り起こすような真似をしたのです」

「魔法は他人が勝手に解除できるものではないからな。呪いを解くには送り手と受け手の両者の間で無効にするしかないのだ。妻を起こし、回復させるためには、どんなに憎くともこいつを生かしておく必要があったのだ」

一度は捨てさせておきながら、また拾って育てさせたというのですか

「そうだ。ハクロを鍛え、成長を促してきたのは他ならぬ俺だ。ミコトは俺が描いた筋書の手伝いをしていただけさ」

「なんて酷い……」

「ミコトは自ら志願したのだ」

「本当に?」タマキはミコトに向かって叫んだ。「貴女は何とも思わなかったの!?」

 ミコトは眼を伏せ、刀を強く握りしめる。唇を噛みしめたまま沈黙した。

「俺が代わりに答えてやろうか?」

「いいえ。自分の物語は自分で紡ぎます」

 ミコトは首を振り、カンザキの助けを断った。

 黒装束を脱ぎ、細い首を露わにする。

 彫られた入墨が陰影を現す。

「その紋様――」タマキは眼を見張る。「貴女、奴隷村の出身だったの!」

「そう。この入墨は魔女の証なんかじゃない。私は、史実から抹消された、過去の負の遺産。奴隷制度の名残。名も無き入墨の娘なの」

「だけど、まさか……信じられない。奴隷の生き残りが領家に仕えているなんて……」

「身分など関係ない。優秀だったから雇ったまでのこと」カンザキが当然のように云った。「ミコトは、奴隷だろうと同じ言葉が通じる人間だ」

「そう云ってくれる人は多くありません。人間は押された烙印で他人を視る生き物なのです。私自身でさえそうだった。己の出自を呪ったわ。だけど奥方様は、そんな私に手を差し伸べてくださった。奥方様は余りに特別な存在だった。私だけじゃない。誰にとっても必要な御人なのよ」

 ミコトは木乃伊に触れ、躰を寄せる。

 華奢な指で頬を撫で、耳元で囁いた。

 その躰に宿る魂を揺さぶり起こすように、呪文を放つ。

「さあ、どうかお目覚めください、奥方様。貴女様こそが、ストーリーテラー復活の鍵を握る、女神の寵愛を受けた光の巫女――スケープゴートとなり得るのです」

 開かれた扉から黒い塊がどろりと融け墜ちる。そして――

 最後の審判が始まった。

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