第13話 死神の初恋⑩
――煩い。
街に到着したハクロが最初に浮かべた感想がそれだった。
事前にミコトから聞いていたので覚悟はしていたが、想像以上に人が犇き合っている。街を囲う外門を潜ったところでハクロは足を止めてしまった。異次元に通じる扉でも開いたのではないかと錯覚するが、しかし外界とは地続きで繋がっている。
道はそのまま目抜き通りに変わり、人や荷馬車が絶えず往来している。その喧騒だけでも圧倒されるが、通りの両脇では多くの露店が軒を連ね、競い合うように大声をあげて客を呼び込んでおり、これがまた喧しい。
それだけではない。遠くで爆発音がした。
敵襲かと身構え、ハクロは鎌に手をかける。
だが空砲だった。
祭事でもあるのだろうか。通りのずっと先にある城塞から煙が立ち上っている。
風に流れる白煙を眺めつつ、ハクロは一歩後退る。一人であれば間違いなく踵を返していただだろう。
「どう? 見ると聞くとでは大違いでしょう?」ミコトが云った。
ミコトは睡蓮に包んだ状態でハクロが背負っている。
「ああ……良い経験になったよ」
「まさか帰るなんて云わないでしょうね?」
「此処まで来て引き下がるわけないだろう」
「なら、さっさと這入る。門兵がこっちを見ているわよ。いつまでも往来の真ん中で立っていては邪魔になるわ」
「分かった」
「って――ちょっと、どうしてそんな端っこに寄るのよ」
「邪魔だと云ったのはミコトじゃないか」
「出入口を塞いでいるって云ってるの。さっさと進んで、堂々と歩きなさい。ほらほら」
「待て。医者がいる場所を訊いておこう」
「なら説明は任せるわね」
「俺が話すのか?」
「何事も練習よ」
蓮に隠れたミコトを怨めしく思いながらも、恐るおそる門兵に話しかける。
ハクロを見た門兵は眉を顰めた。汚れが気になるのか、或いは大きな荷物を不審に思ったのか、腰に下げている大鎌がいかにも不審者のそれである。
挙動もぎこちない。ハクロにとって、知らない人間と面と向かって話しかけるのはこれが始めてなのだ。上手く話せているか内心穏やかではない。なるべく簡潔に、良い医者を探しているとだけ伝えた。
事情を察したのか門兵は、腕の良い医者がいると云い、地図と紹介状を書いてくれた。筆跡には何故か同情の念がこめられている。ハクロ自身が病人だと思われたのかもしれない。最後はお大事にと見送られた。
上手く話せたかは分からないが、目的は果たせた。混雑を避けながらハクロは、見慣れない地図を片手にゆるゆると進んでいく。もう少し陽が落ちて、街の者が帰路に着くのを待ってから訪ねれば良かった。内心後悔したが、ミコトの命が懸かっているのだ。悠長に構えてはいられない。
これだけ大勢の人間を間近で観察する機会はこれまでになかった。互いの躰が触れ合うほどの距離を許したのはこれまでミコトだけだった。肩がぶつかりそうな距離を平然と横切っていく人たちに、どうしても違和感を覚えてしまう。
「……皆、全く警戒心が無いんだな」
「それだけ治安が良いということよ。獣が侵入しないよう強固な外壁を築いているし、兵士も巡回している」
「それにしたって無防備過ぎる。一歩踏み込めば簡単に首を落とせるぞ」
「獣じゃないんだから、近いからといって誰彼構わず危害を加えたりしないの。そんなことしたらすぐに役人がやってきて捕まってしまうわ」
「俺の敵じゃない。返り討ちにできる」
「貴方は特別よ。独りで生きられる者なんてまずいない。人間は、基本的に非力な生き物なの」
「獰猛な獣も多いのに、どうやって生存競争に勝ち残れたんだ?」
「力が足りない分を数や頭で補ってきたのね。法を作り、仕組みを整える。それを皆で共有して役割を分担するの。ほら見て。旅人や行商だって用心棒を連れているでしょう? 護衛は強い人に任せて、各々が得意な分野を担ったほうが効率的なのよ」
「仕組みか……。皆が了解したうえで治安が保たれているんだな」
「大勢が納得できる原則で無ければ集団は纏まらないけれど……必ずしも定めた法が正しいとは限らない。集団で選択を誤ったときに悲劇は起きるの」
「前提条件を間違えるものなのか?」
「大勢で決めたはずなのに、ときとして数の理論は制御しきれないほど暴力的になってしまう。個人がいくら過ちを糺しても、数で圧倒されてはまともに抗うこともできない。無頼には生きづらい世の中よね」
「それでも俺は少数派に回るだろう。馴れ合いなんて性に合わない。生まれつきの天邪鬼なんだ」
生まれつきの忌み子なのだ。
卑下しているわけではないが、生来の性分は簡単に直せない。だからこのままで好いと思う。思うのだが……割り切れない想いが脳裏にこびりつき、暗い影を落とす。
ハクロの強さは人並みを外れている。
天賦の才と云えるが、誰もが羨む異能は賞賛と同時に畏怖の対象ともなる。神と悪魔は人智を超越した存在という意味で表裏一体なのだ。どちらに区別されるかは、受け手が抱いた印象によって変わる。
孤高の死神はどちらも望んでいない。
ハクロは、一人の人間として扱われたいだけだ。だから、いつまでも力に頼って鎌を振り回していてはいけないと思う。死神の汚名を雪ぎ、人間らしく生きられるのであれば、さっさと手放した方が賢明だろう。だが、これは命を繋いでくれた相方とも云えるし、己の存在の証とも云える。
鎌はハクロが異端であることの象徴なのだ。
単なる刃物だと云われればその通りだが、どうしようもなく分かち難い。
「俺のような日陰者はどうやって生きていけば良いのだろう?」
相反する気持ちにハクロは頭を抱えた。
その流れるような金髪をミコトが優しく撫でる。
「顔をあげて、前をご覧なさい」
促されて視軸を移すと、通りの先に井戸櫓が見えた。
櫓は街の中心にあり、そこからいくつもの道が放射線状にのびている。
その枝分かれする道をミコトが指差す。
「私たちは常に流転している。立ち止まりたくとも歩みを止めることは許されない。後戻りも出来ない。いつだってどの道かを選んで、進まなくてはいけないの」
「間違えたらと思うと足が竦むよ」
「正解なんて求めてはいけない。そんなものは最初から存在しないのだから。でも、どの道を選んでも、必ず何処かへは通じている。信念を持って決めた道を迷わず進みなさい」
「独りで往ける先なんて知れている」
「不安なら、鎌は困ったときの道標だと思って隠し持っておけばいい。日和って数に屈せば群に取り込まれてしまう。それはとても残念なこと」
「俺は、俺のままでいて良いのだろうか?」
「元々人はそれぞれ異なっているわ。その違いを認め合い、ともに研鑽できる仲間を探しなさい」
「俺に見つけられるだろうか?」
「求め続ければ、いつかきっと巡り逢えるでしょう」
「貴女ほどの人はそうはいない。俺は、ミコトと出逢えて本当に幸運だった」
「私もハクロと逢えてとても嬉しい」
ミコトは微笑み、それから視線を伏せた。移動で疲れているのだろう、静かな寝息が聞こえてきた。
すでに陽は傾き始め、密かな静寂が訪れている。街の喧噪は鳴りを潜め、代わりに笛や弦の音が流れてきた。噴水の前をみれば、若い音楽家がそれぞれの楽器を手にして立っている。それらはぶつかり合うことなく、美しい調和を奏でていた。曲名は判らない。有名な曲かもしれないし、彼らが創ったものかもしれない。奏者の笑顔を見ていると、どちらでも構わない気がしてくる。
――俺もいつか誰かとあんなふうに笑いあえる日が来るだろうか。
たとえ忌み子として生まれようとも。
死神と呼ばれようとも。
一人の人間として認めてくれる者がミコト以外にも現れるだろうか。
心地良い音楽に耳を傾けながらハクロは、ミコトを連れて櫓を離れる。
道中、黙って歩きながらミコトが聞かせてくれた物語を思い出す。
入墨の娘の話だ。
ミコトが何かを話すときは、本筋とは別に、教訓が隠されていることがままある。彼女は、ハクロが同じ轍を踏まないように諭してくれたのではないか。
娘は、自分で選択したように思えて実は、無言の圧力に屈したのではないか。ハクロも数に圧されて墓場を追われたようなもので、どこか共感を覚える。
何が娘にとって最善だったのかは解らない。
どんな意味が篭められているのかも解らない。
だが考える切っ掛けにはなった。
入墨の娘には黒武者が現れたように、ハクロにはミコトがいる。ミコトは、体調が万全ではないのに、こんな時でさえハクロの質問に答えてくれた。それが有り難くもあり、心苦しくもある。
快方に向かうことを祈りながらハクロは、詩を詠いながら医者の住む場所へ急いだ。
※
そして。
城にある鐘楼から宵の刻を報せる音が鳴り響いた頃、ハクロは街の片隅で歩みを止めた。
細い路地を何度か通り抜け、中心からだいぶ離れた場所まで歩いた。
「ここが医者の家か……」
もっと瀟洒な住まいを想像していたが、外観は小さく簡素な造りだった。だが、看板は出ていないが、渡された地図とは一致している。
門兵は優秀だと推していたが、あまり儲けを取っていないのだろうか。元より払える礼など持ち合わせていないのだが……護衛だろうと雑用だろうと引き受けて、働いて返すしかない。窓から灯りも漏れているし、まだ受け付けてくれるだろう。とにかく診てもらおうと扉を敲いた。
暫くして返事が聞こえたので中へ這入る。
玄関で待っていると女が一人奥から出てきた。
その姿を見てハクロは息を飲んだ。
――この女、見覚えがある。
墓場で剣を交えた者とは違う。歴戦の相手などいちいち覚えていられない。ハクロにとって鮮明な記憶に残る数少ない人物、それは――
ハクロを取りあげた産婆だった。
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