第12話 死神の初恋⑨
山を下りて向かった先は墓場だった。
塒がどうなったか確かめたかったことと、ミコトだったモノを検めようと考えたのだ。
戻ってみると、墓場は随分と様変わりしていた。
人の気配がしない。あれほど群がっていた士は皆帰ったようだ。
死神が消息を絶って久しい。誰かが倒したことになっているかもしれない。
獣の鳴き声がやけに遠くから木霊する。その姿を確認することはできない。無理もない。留守の間に墓穴は悉く埋められ、堆く積み上げられていた骸の山もすっかり消え失せている。叢や藪は刈り取られ、でこぼこして見通しの悪かった地形も平らに均されている。空いた隙間から射し込む陽光が燦々として眩しい。こんなに見通しが良くては獣は勿論、死者も安らかに眠れはしないだろう。
彷徨う魂たちは無理やり祓われ、追い出されてしまったのだろうか。静寂に紛れて哭いていた視えざる者たちの怨嗟も鳴りを潜めて聞こえない。
死者を葬ったのは生きている者たちだ。
醜くて、歪んでいて、恐ろしいから。
見たくないものを視なくてすむように、
無いものを無いとしたのだろう。
間違ってはいないが正しいとも思えない。釈然としない想いを抱えながら、ハクロはミコトと出逢った場所へ急ぐ。
そこは迷路のようにいくつもの岐路が分かれてできた穴倉の奥だ。
墓場の最深部で見つかりにくかったのだろう、人が這入った形跡は無い。それでも警戒は怠らず、ミコトだったモノを求めて暗闇を進んでいく。
暫くすると覚えのある袋小路に辿り着いた。
着物が在る。ミコトだったモノも。
白骨化して半分土に埋まっている。
美しさの欠片もないが、これが死者本来の姿だろう。
穴倉は外よりずっと気温が低く、冷気が漂っている。空気は清浄とは云えない。色んな有機物が泥に混ざっていて判然としない。昏い闇のなか、何もかもが視えそうで見えず、曖昧で混沌としている。すっかり様変わりした墓場で、此処だけが時間が停滞し、昔の姿を止めているかのようだ。
柔らかな土に触れているとそのまま寝そべって微睡みたくなる。郷愁に駆られる気持ちを抑え、骸の前で膝をついて黙祷を捧げる。
両手を合わせていると後ろから声がした。
ミコトが眼を覚ましたのだ。
「此処へ来るのは何年ぶりかしら?」
「躰の具合はどうだ?」
「悪くないわ。貴方が祈ってくれたおかげね」
「ミコトのためじゃない。そこに魂など存在しないことは充分に承知している」
「私は此処にいるものね。眼の前に在るのは蛋白質の塊。ただの骨よ」
「それでも拝まずにはいられなかった。これは俺の魂の問題だ」
「善い心がけだわ」
「今でも申し訳ないと思っている。だが、これからさらに辱めてしまうことを、どうか赦してほしい」
「好きにしなさい。そこに横たわっているモノはもう、私では無い。いくら暴かれようと恥ずべきことは無いもの」
ミコトは過去に関心を示さない。羽化した蝶が蛹を置いていくのと変わらないのだろう。
許可を得たハクロは骸を掘り返しにかかった。
着物も骨も残らず取り出す。所々蟲に喰われてはいるが、概ね骨格は形を留めている。それらをひとつずつ手に取り、並べていく。
その様子を見つめながらミコトが訊いた。
「こんなもので何か判るの? 死者は何も語らないわよ?」
「ミコトに云われても説得力が無いけれど」
「他人から見れば今の私は生きているのか死んでいるのか判らない状態なのでしょうね。だけど一歩ずつ、確実に死へは近づいている」
「なんだか生きいきしているようにも見えるけれど」
「謎解きって大好きなの」
「それは知らなかった。是非とも知恵を拝借したいものだが」
「死者は何も語らないものよ」
「語らなくとも痕跡は残す」
「それって遺言のこと?」
「明瞭とした物証が在ったらあの時に気づいていただろうが……過去の記録を残す方法は文字だけに限らない。絵や図、記号などであれば誰でも思いつくだろう。高度な術師であれば音や匂い、動く映像まで保存できる。ミコトが教えてくれたことじゃないか」
「そうだったかしら?」
自身の屍体でさえ教材にしようというのか、ハクロがどう答えるか試しているみたいだ。病に魘されているよりは笑っている方が好ましいが……。
「手術や虫歯の治療痕が在れば、そこから手掛かりが得られるかもしれない。儀式的な割礼をしていればそれだけで出身が特定できる」
「それで、何か発見は在ったかしら?」
「いや、特にこれといったものは……」
特徴的な箇所は砕けた胸骨だけである。だが、それを作ったのは過去のハクロだ。
着物も確認したが、黒一色で統一されていて模様や刺繍などは一切施されていない。繊維も一般的な絹でどこでも手に入る素材だ。
他に見落としはないかと近辺を探ってみたが、結局、新しい情報を得ることはひとつも出来なかった。
ハクロは掘り返した遺留品をすべて埋め戻す。
土を盛り、上に苗木を植えた。
ミコトは不思議そうに小首を傾げる。
「それは何の樹?」
「桜だ。山から下りる途中で採った」
「そんなもの植えてどうするの? 何かの呪い?」
「深い意味なんて無い。単なる目印みたいなものさ」
「私に墓標なんて必要ないわ」
「此処は俺たちの物語の出発地点だ。全て片づいたらまた来よう」
「過去を懐かしむにはまだ早過ぎるわ。本当に、人間ってどうしてこうも過去に執着したがるのかしら」
「人間は物語を必要としているんだろう? それは過去に堆積していくものなんだよ、きっと」
だからときどき掘り返したくなる。
顧みたくなる。
もう二度と現れはしないと解っていても――。
「だけど、こんなに暗くて湿った場所じゃきっと育たないわ。枯れてしまうかも」
「土は肥えているんだ、きっと穴から飛び出るくらい大きく成長するさ。暖かい季節を迎える頃には蕾をつけて、一斉に花を咲かせるだろう。そうなれば誰も掘り返したりしない。安心して眠れるはずだ」
「だといいけど。桜と死体の組み合わせってありがちよね」
「それはよく知らないけど……。さあ、もう行こう」
桜を根付かせるとハクロは立ち上がり、ミコトを背負い直す。
「次はどこへ向かうの?」
「なるべく人の多いところが好い」
「であれば、ここから南へ下ったところに大きな街があるわ。この地域一帯を治める領家の街よ」
「言葉は通じるだろうか?」
「今の貴方なら大丈夫。漸く人前に出る決心がついたのね」
「あまり気が進まないけれど……医者を探そうと思う」
「まあ妥当な判断よね」
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