【オリジナル小説】絆マリオネット【第14話】

絆マリオネット オリジナル小説

第14話 夢の跡

 真っ暗でなにも見えない。

 聞こえる音もなく、あたたかくも寒くもない。

 上も下もわからない。宙に浮いているのか、あるいは粘性ねんせいの液体に沈んでいるようにどこにも抵抗を感じない。

 ああ、また夢か。

 私は眠っているのだと気づく。だけど、明らかに以前見たものとは異なる。

 音がしないのだ。

 ただただ静かで、穏やかで。

 己の存在が果てしなく拡散していくような、消えてしまいそうな予感だけがある。

 これが死というものだろうか――? 

 ならばそう悪いものではなさそうだ。

 びて重くなった躰はもう、ここにはない。私の知らないどこかへ行ってしまった。

 もう二度とあのおりのなかには戻りたくない。

 生きるということは記憶を重ねることに他ならないのだ。

 蓄積することに他ならないのだから。

 それは赤さびのように私の心を陰鬱いんうつにさせていく。

 だからこのまま目覚めないでいたい。

 ぜんぶ忘れて永遠の眠りをむさぼりたい。

 そう願う。

 願うのだけど……。

 私の躰を揺り動かす思い出がある。

 私の心をつかんで離さない人がいる。

 そのぬくもり、その手触り、そのにおい。

 それらすべてが、無へ還ろうとする私の輪郭りんかくを捉えて離さない。

 もう一度逢いたい。

 もうひと目だけでも見たい。

 できるなら抱きしめて欲しい。

 二度と離れないよう、固く強く結んで欲しい。

 忘れたいと願うと同時に、相反する想いを願ってしまうのだ。

「……勿忘草」

 遠くで声がした。

 ――勿忘草? 

 それが私の名前だったか。

 どうやら誰かがどこかで私を呼んでいるようだ。

 光が射し、視界が広がっていく。

 吸い寄せられるように私は光のなかへ。そして――

 目覚めるとそこには見慣れた珍獣がこちらを見ていた。

「おお、勿忘草。よかった、再起動できたようだな」

「……師匠? 私は……生きておるのか?」

「一時はどうなることかと心配したぞ」

「ここはどこだ?」

「カデナ飛行場だ。思い出せるか?」

「大丈夫、忘れておらん。そうか……帰ってきたのか」

「水仙殿の道具を借りて、なんとかリブートさせたところだ。メンテナンスに十日もかかったがな」

「またそんなに眠っていたのか……」

 天窓から太陽光が射し込んでおり、時刻は昼前だとわかる。

 自室のベッドではなく、どうやらガレージのようだ。その片隅にあるサーバの隣に横たわっている。

 外から飛行機のフライト音が聞こえてきた。日常に戻ったような気がして、こなさなければいけない家事を頭の中で段取りする。それから急いで躰を起こした。

 しかし、なにかに引っ張られてうまく起きられない。まだメンテナンス中だったのだろう、躰のあちこちにケーブルが接続されていた。失った右腕も予備のオートメイルで応急処置が施されている程度だ。なじみにくくて思ったとおりに動かせなかった。

「まだ動かん方がいい。安静にしておれ。不具合があれば遠慮なく言ってくれ。如何せん素人の手習いだからのう。水仙殿のようにはいかん」

「起動前の記憶が曖昧だ。私はラフレシアと闘っていたのだよな?」

「そのとおりだ」

「結果は、どうなった」

 と訊いてみたものの、答えを待つまでもなく、師匠の顔色を見れば予想はつくし、己の身に起きている惨状をかんがみれば火を見るよりも明らかだ。

「また負けてしまったのか……」

「そう落ち込むな。お主はよく闘った」

なぐさめなどいらん」

「こんな時くらい、強がらんでもよいのだぞ」

「全力は出し切ったのだ。結果に悔いはない」

「そうか……、とにかく無事でよかった」

「五体満足とはいえんがな、師匠のおかげで命拾いしたよ。ありがとう」

「どうした、えらく殊勝しゅしょうだな。お主らしくもない」

「身をていして護ってくれたのだろう? 私ひとりでは絶対に助からなかった」

 胸部一帯が激しく損傷しているが、それでもまだ私は、私を私と認識している。

 キズナが内蔵されている心臓部分が破壊すると二度と元には戻らないのだ。本当なら再起不能になっていたところだろう。

 ガレージまで運んでくれたのも師匠なのだろうし、つくづく私は護られている存在だと痛感する。大口を叩いておいてこの有様だ。自分が半人前だと嫌でも思い知らされる。

 結果、私は大事な人を失ってしまったのだ。

 主不在のガレージはいつもより高く、そして広く感じる。

 中央に鎮座する飛行機は未完成のままで、フライトさせてやることはもうできそうにない。未来をのせた飛行機に向き合っていたその背中を思い出すと、不意に視界が滲んだ。

 眼から水が溢れてこぼれ落ちていた。

 声をあげて泣いた。

 泣いて、泣いて、泣きじゃくった。

「あぁあ、私のせいでご主人様が死んじゃったぁ……」

「泣くな、勿忘草よ」

「私はご主人様がいないと生きていけないのだ。なのに独りだけ生き残ってしまって……これからどうやって生きていけば良いのだ」

「独りではない。吾輩がおるではないか」

「貴様などものの数に入るか。生まれ変わって出直せ」

「酷い言われようだな……。水仙殿から預かっておるビデオレターがあるのだが、観せてやらんぞ」

「なんだと?」

「万が一お主が負けるようなことがあったら渡してくれと、試合直前に頼まれておったのだ」

「そ、それを早く言わんか。どこだ、どこにある?」

「吾輩の記憶装置のなかじゃよ」

「なら早く再生してくれ」

「我輩など必要ないのだろう?」

「悪かった。頼むから観せてくれ」私は膝を着いて両手を合わせた。「なんでもするから――」

「ん? なんでも?」

「あ……」

 しまった、ついうっかり口を滑らせてしまった。

 私の一言でエロパンダの目つきが変わる。

「いまなんでもするって聞こえたが」

「も、もちろん私に出来る範囲でだぞ。変なことはダメだぞ」

「変なこととは?」

「貴様が考えそうなことだ」

「話にならん。それではことごとく却下されてしまうではないか。深く傷ついた吾輩の心を癒してくれん限りは観せられんな」

 師匠はわざとらしく背中を丸めいじけてみせた。

 くそう、足元見やがって……。

「わかったよ。師匠の言うことなんでも聞いてやるから、頼む」

「本当か?」

「ただしひとつだけだぞ」

「充分だ。それでは早速頼むとしよう。良いか、そこを動くなよ」

 そう言うや、師匠は私の胸の上に這い上がってきた。荒い息遣いが白い蒸気を生む。それが鼻先までかかった。

 パンダの短い前足が私の唇へのびてくる。

 ラフレシアとは別種の恐怖が背筋を駆け抜け、思わず眼を閉じて身を強張らせてしまった。

 柔らかな毛が私の頬を撫でていく。それから両方の口角を持ち上げられた。

「……」

「…………」

 ……しかし、それ以上はなにも起きない。

 恐るおそる目を開けると、そこには笑ったパンダの顔があった。

「師匠?」

「お主に涙は似合わん。どんなに辛くとも笑っておれ。それが吾輩からの頼みだよ」

 そう言って師匠は大げさな表情をつくって片目を閉じる。おどけたように躰を一回転させ、私から離れた。

「師匠……」

「吾輩はビースト・ギアだが心は人間と変わらん。ちゃんと時と場合をわきまえておるぞ」

「そうだよな。悪く言ってすまなかった」

「良いってことよ」

 なんだかんだ言っても、師匠は頼もしい味方なのだ。ナリはともかく、少しは態度を改めよう。

 そう思った矢先、

「まあ、メンテナンス中にしっかり裸は堪能させてもらったしな。修理のついでに起伏の乏しい胸部を少し盛ってやろうか丸五日熟考したのだが、やめておいた。水仙殿の意見も聞かずに改造するのはさすがにマズイだろうと――ぐえッ!」

「時と場合を考えろ。このエロパンダ!」

 修理時間の半分はバストアップするか否かで浪費していたらしい。私はおろしたてのオートメイルを粉砕する勢いで盛りのついた珍獣を張り倒した。

 完璧にノックアウトさせると私は両手を腰に当てて嘆息する。

「まったく――」

 どうせなら盛っとけよ。

 とさすがに口に出しては言わなかったが……、

 とにかく。

 調子が戻ってきたのでベッドからおりる。半裸のままでは恰好がつかないのでいつものワンピースを着て、エプロンをさげた。

 それからガレージから書斎に移動し、ビデオレターを再生してもらう。パンダの両目が光るとひとりの男が立体映像として映し出された。

 アビエイター帽に革のジャケット。色素の薄い金色の髪がさらりとなびく。

 映像の人物は5分の1スケールで、机の上に立っているが間違いない。

 私のご主人様、浅黄水仙だ。

 ご主人様はいつもの調子でやさしく語りかけてくる。

「やあ勿忘草。元気かい。できることならお蔵入りになっていることを願うが、これを観ているということはラフレシアに負けてしまったみたいだな。残念だけど結果を気に病む必要はない。お前はいつだって全力を尽くしているんだ。その過程を誇りに思いなさい」

 それは前回負けた時と同じ台詞だった。

 もうずいぶん久しく逢っていないように感じる。

 だが、手を伸ばしてみても、もちろん触れることはできない。枯れるほど泣いたはずなのに、嬉しさとさみしさでまた涙が浮かんだ。

 ご主人様は続ける。

「本当ならそばにいて、慰めてあげたいところだけど、ごめんな。ちょっと帰れそうにない。詳細はパンダから聞いているだろうけど、銀葉殿との約束を果たさなくちゃいけないんだ」

 ご主人様は、銀葉アカシアに染井嬢との婚約解消を願い出て、私とラフレシアの勝負に己の命を賭けたのだが。結果、私が敗れ、ご主人様は命を落とす破目ハメになったのだ。

 謝らないといけないのは私の方なのに、映像は一方通行でご主人様に私の想いは届かない。

 やさしき主は少しさみしげにはにかんだ。

「今までいろいろ手伝わせて悪かったな。おびと言ってはなんだけど、家や家財道具はすべて勿忘草の名義にしてある。そのままそこで暮らしても良いし、売却すれば多少はまとまった財産になるはずだ。お前があちこち興味を示しているのは知っていたからな。それを元に旅に出て、見識を広めるのもいいだろう。俺が飛行機であちこち連れて行ってやりたかったけど、それだけが心残りだ」

「飛行機なんて、別に……」

 ふたりと一匹で楽しく暮らせればそれで充分だったのに。失ったものの大きさに改めて悔いが残る。

 うつむく私にご主人様がそっと手を伸ばす。触れられるわけもないのに、そこに確かなぬくもりを感じた。

「だけど、お前はもう立派な大人だ。これからは自分の意志で、自分のために、自由に生きなさい」

「無理だ。私はまだ、自由が何なのか理解できていないのだ」

「いつか素敵な伴侶はんりょと巡り会えるといいな」

「待って、行かないで。私を置いていかないで。私を――」

 私を忘れないで。

 そう呟いてみたものの私の言葉が届くはずもない。

「俺の大切な勿忘草。さようなら」

「ご主人様……」

 私が未熟なばかりに。

 落とした肩に師匠が手を添える。

「諦めるのは早い。水仙殿はまだ生きておる」

「――ッ! そうなのか?」

「水仙殿が処刑されるのは銀葉殿と吉野嬢の婚姻のときだからな」

「それはいつだ」

「QoMのフィナーレの時に公式発表があった。その時たしか半月後と言っていた。それから十日経っておるから、四日後ということになる」

「ならば早く助けにいこう」

 だけど、どうやって。

 当日は銀用家の屈強なガーディアンが大勢警備しているのだろう。

 それにラフレシアも。

 うまく切り抜けられたとしても、そこで一番問題となるのは銀葉ではなく、ご主人様の気持ちだ。よしんば救出できたとしても、彼が約束を反古ほごにするとは思えない。再度挑戦し、ラフレシアを倒してみせれば納得もさせられるかもしれないが……。

 それでもないか心に引っかかるものがある。それはつまり打開策があるということ。

 考えろ。考えろ。考えろ――。

 私は蓄積された記憶の断片を片っ端から再生させていく。トライアンドエラーを繰り返しながら、しこりの原因を特定していく。

 そして私はある記憶に行き当った。

 ――これだ! 

 と、閃いたところで玄関のチャイムが鳴った。

 何度となく鳴らされているが、いまはそれどころではない。おそらく報道陣か野次馬の類だろうし、居留守を決め込む。

 案の定、無視し続けていたら聞こえなくなった。

 胸を撫で下ろしたが、今度はガレージ側のシャッターからノックする音が聞こえてきた。同じく無視していたが、中々やまない。

「しつこいな」

「相手にしない方がいいぞ」

「心配するな。顔は出さん」

 ガレージに向かい、シャッター越しに大声をあげる。

「誰だか知らんが帰ってくれ。ご主人様は大事な用があって不在にしておるのだ」

「……その声は勿忘草ちゃんね?」

「ちゃん? もしや、貴様――」

 聞き覚えのある愛称に、私は思わずシャッターをあげた。

 そしてその先は予想どおりの人物が。

 予期せぬ珍客は長い髪を揺らして駆け寄ってくる。

 染井吉野だ。

 染井は私を抱きしめ、無事を喜んだ。

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