【オリジナル小説】絆マリオネット【第12話】

絆マリオネット オリジナル小説

第12話 ファイナルバトル②

 押し倒してからの一撃がラフレシアに命中する。

 ついに私の拳が女王の首に届いたのだ。

 その感触は金属のように硬く、一方でしなやかな筋肉が弾むような感触でもあった。

 ギャラリーたちが悲鳴ともとれる叫び声を一斉にあげる。

 王座陥落の瞬間を喜ぶものはいない。

 だが勝敗は決した。そう思ったのだが――

 私は眼を疑った。

 拳の先にはラフレシアの両手がある。

 ボディまで届いていないだと――!? 

 視界で捉えるよりも先に躰が動いていたのではないか。凄まじい反応速度だ。最大火力を込めた鉄槌てっついは見事にガードされ、完全に勢いが封殺ふうさつされてしまっていた。

 またしても失敗か――。

 だが悲観するにはまだ早い。

 マウントをとっているし、ラフレシアはギアを手放してもいる。このレンジならば私の方が有利だ。下から逃げられないようたたみかけてやる。

 もう一度殴りかかろうと、振り下ろした右手を引いた。

 だがそこで私は硬直する。

 躰の中の水分が一瞬で凍りついたかのようだ。全身にバグズ・ギアが這いずり回っているのではないかと錯覚してしまうほどの狂気を感じたのである。

 一瞬、バラバラに分解された己の姿が脳裏をよぎる。

 とっさに反応して飛び去ろうと腰を浮かした。

 それが致命的だった。

「逃げるでない」

 引いた腕をつかまれ、さらに彼女の両足が背後から絡みついてくる。取られた腕が引き伸ばされ、関節が悲鳴をあげる。ついに可動域を超え、私の内部で骨格の折れる音がした。いくつものリベットがはじけ、歯車が飛び出し、こぼれ落ちる。

 同時にHPが大きく減少した。

 だがそれ以上に利き腕を失ったのがまずい。

 私は少なからずショックを受けていた。痛みはないが、視覚的な衝撃が大きい。

 人間とは異なる無機質な構造。

 金属でできた骨格。

 損傷し、噛み合わなくなった歯車。

 露わになった私の内部。

 そこへさらなる殺気が流れ込む。

 ラフレシアがこちらを観察していた。

 そこで私は理解した。

 得物を持たずとも女王は女王たりえるのだと。

 不用意に近づき、絡め捕られたのは私の方だったのだ。

 このままでは負けてしまう。

 躰を破壊されるのも厭だ。

 ホールドされた状態からなんとか抜け出すべく、私は必死にもがいた。しかし片 腕を失っては自由が利かない。

 私は闇雲に、唯一自由が利く頭部をラフレシアめがけて振り下ろした。

 だがそれは女王に近づくどころか、逆に離れていく。

 気がつくと全身が宙に浮いていた。

 ラフレシアが両足で私の首許を挟み込み、持ち上げている。力任せに大地をつかむとしなやかに腰を反らせる。ブリッジの体勢からバク転し、勢いよく放り投げられた。

 絞め技から解放されたのはいいが、またしても地面に叩きつけられる。

 私は即座に立ち上がり、左腕をかまえた。

 サウスポーでも闘えなくはないが、それ以上に得意な距離でせり負けてしまったことが尾を引く。

 ――遠い。

 この距離をどう縮めればいいのかわからない。

 その圧倒的な才覚に絶望を感じずにはいられなかった。悠然と鞭を拾い上げる女王に対して、接近することさえできずにただ見守るしかなかった。

 ラフレシアはギアを仕舞うとゆっくりと歩み寄ってくる。

「なかなかいい攻撃だった。褒めてつかわそう」

「褒めても負けてやらんぞ。首輪を洗って出直すがいい」 

 言いつつ私は女王の歩調に合わせて後ずさる。

 視線を切らさないよう注意を払いながらポイントを確認した。もはや逆転不可能と思える差がついているが、それでも値がゼロを示さない限り負けではない。

「その台詞。どこかで聞き覚えがあると思っていたが……。そうか、そなたは前回でも決勝で相対したのだったな」

「憶えておらんのも無理はない。以前の私より格段に強くなっているのだからな」

「そうか? むしろ、弱くなったように見えるが。わらわに嘘やハッタリは通用せんよ」

「弱くなったかどうか、その躰でたしかめてみろ!」

 啖呵たんかを切り、攻撃に転じようと前へ踏み出す。

 しかし、気持ちとは裏腹に足が動いてくれない。どうしたというのだろう。右腕以外に大きな損傷はないはずなのに。躰が命令を受けつけない。

 まごついているうちにラフレシアが間合いに入ってきた。

 私は意に反して退く。躰の震えが止まらないのだ。

「どうした。向かってこんのか?」ラフレシアが言った。

「こ、これも作戦の内だ。すぐに泣きべそをかかせてやるさ」

「そう熱くなるな。スチームの無駄だ。なんなら勝ちをくれてやってもよいのだぞ」

「誰がそんな口車にのるか。本気で向かってこい。そうでなくては貴様に勝利しても意味がなかろう」

「やせ我慢はよくないな。今回ばかりは勝ち方にこだわっていられないだろうに」

「どういう意味だ?」

 私が問うと、師匠が横槍を入れてきた。

「勿忘草、ラフレシアの話に耳を貸すな。試合に集中しないか!」

「わかっておる。だが、なぜあやつは全力を出そうとしないのか……」

 たんに格下扱いされているだけかと思っていたが、どうも彼女の口ぶりからするとそれだけではなさそうだ。

 ラフレシアは、睨みつける私にそっぽを向く。その先に銀葉がいるのだろうか。笑顔で客席に手を振って余裕をアピールしている。だが、長い髪に隠された口許は笑っていない。

 私にだけ聞こえるよう小さな声で話しかけてきた。

「勿忘草といったか……、試合前にもいたが、そなたは何故強さを求める? 答えてはもらえんか」

「答えれば全力を出すか?」

「真実、納得いくものであれば」

 おそらく、適当な嘘をついても看破かんぱされてるだろう。正直に告白するべきか逡巡しゅんじゅんする。だが、敵に胸の内を吐露するのは気が引けるが、こやつは嗤ったりしないだろう。

 私は慎重に言葉を選び、語ることにした。

「……私は、私のご主人様のために強くなりたいと思っている。彼は、今はまだ一介の傀儡師に過ぎぬが、才能ある人間だ。こんなところで終わるような人材ではない。うまく言えんが、なんというか、もっと自由になって、もっと幸せになってもらいたいと願っておるのだ」

「つまり、主の幸せのために強くなりたいと?」

「それが私の幸せでもある」

「そうか……。ならば、そなたが弱くなったのもうなずける」

「弱くなどなっておらん。私がこの日のためにどれだけ技を磨き、己を鍛えてきたか、貴様は知らんだろうが」

「自覚がないのだな。無理もない」

 ラフレシアは嘆息した。

 その意味を問う前に彼女は話題を変えた。

「実はな、今期を最後に引退しようと考えておったのだ」

「なんだと?」

「QoMにはもう興味がないのだよ」

卑怯者ひきょうものめ、勝ち逃げする気か?」

「どう評されようとかまわん。この見世物は所詮、浮世うきよなぐさみ物。余興にすぎぬ」

「その意見には賛成だが、決闘は別だ。これは真剣勝負だろう」

「真剣勝負か……。のう、勿忘草よ。われらマリオネットがなんの目的で創られたのか覚えておるか?」

「それは闘うためだろう」

 もっとはっきり言えば、戦争のためである。

 人間の代理ではあるが。

「そのとおり。だが現実はどうだ。ルールに縛られ、いくらHPを減らしたところで死ぬわけでもない。これで本気を出せという方が無理だと思わんか?」

「平和なのは良いことだろう。どこが不満なのだ」

「それでは意味がない」

 退屈なのだよ、と絶対王者はなげき呟いた。

 そして己の気持ちを確認するように何度も繰り返す。

「そうだ、わらわは退屈しておるのだ。まるで生きている心地がせん。実感が湧かんのだ。たしかにわらわはここにいる。だが、どうして? 主に創られたから? そうだろう。だが、なんのために? 人に笑われるためか? 歯車の一部となるためか? 違う。われらは兵器だろう。その本能を忘れてはならぬ。アイデンティティーを失ってはならぬ。わらわはもっと強くなりたい。そして、叶うならばわらわよりも強い者と闘いたい。だが此処にいてはそれもまた夢の夢」

「私が叶えてやるさ」

「そなたでは無理だよ」

「なぜ言い切れる」

「キズナだよ」ラフレシアは即答した。「キズナに縛られ、囚われている限り、そなたにわらわを超えることは絶対に不可能だ」

「そんなはずはない。キズナはご主人様との結びつきが強くなればなるほど、私たちマリオネットは強くなれるよう設計されているはずだ。貴様たちの絆を上回れば、きっと――」

「わらわと我が主との絆が、そなたたちより固く結ばれているようにみえるか?」

「それは……」

 見えない。

 銀葉はラフレシアを道具としてしか見ていなさそうだし、一方のラフレシアもそれに不満はなさそうだ。

 だが、不満はなくとも不遇ふぐうだと感じないのだろうか。

 不幸だとは? 

 同情する気などないが、面と向かっては答えにくい問いだ。

 しかし、当の本人は気にする様子もなく、

「結ばれてなどおらんよ」

 と素っ気なく口にした。

 だがそれでは彼女の強さの説明がつかない。

「貴様はなにを拠り所にして闘っているというのだ。その強さの秘密はなんだ?」

「己の強さを頼ればよいではないか」

「独りが怖くないのか?」

「創られた時からわらわは独りだったからな。そなたと違い、キズナの使い方を教わることなく育った。だがそれが幸いした。わらわと他との差を観察することで、キズナ本来の意味を理解できたのだからな」

「本来の意味だと?」

「語源というべきか。キズナとはな……」

 家畜を繋ぎ止めておくためのつなのことだよ。

 と孤高の女王は言った。

「飼い馴らされた強さなど本物ではない。否、強くなるどころか群れれば群れただけ弱くなる。そなたがよい証拠だ」

「私は家畜なんかじゃないし、弱くもなっておらん」

「まだ実感が湧かぬか。覚えの悪い人形には躾が必要だな。その身を持って教えてやるとしよう。それ――」

 ラフレシアが突然鞭を振った。

 それは宙でしなり、大きな破裂音を炸裂させる。

 決して驚いたわけではないが、私は眼を閉じ、身を強張らせた。何故か勝手に反応してしまう。

 瞬き終えた直後、私はさらに硬直することとなった。

 10メートル以上離れていたはずのラフレシアが目の前にいたからだ。

 女王は私の顎に手を添えると、軽く持ち上げた。

「そなたはパブロフの犬を知っておるか? 鎖につながれた象の話は? そう、これがキズナ本来の使い方だよ」

 その冷たい指先から痺れるような衝撃が伝わる。初めて味わう感情がこみ上げ、無意識に声が漏れる。

 声にならない声が私の喉を伝う。

 これは恐怖――? 

 これが恐怖! 

 ――死。

 ――死ぬ。

 ――殺される! 

 私は腰が抜け、尻もちをついた。そのまま頭を抱えてうずくまってしまった。

 師匠のげきが飛ぶ。

「しっかりしろ、勿忘草。戦闘中だぞ。立たぬか!」

「た、助けてくれ、師匠。ご主人様!」

「ダメだ、そっちへ行くな!」

 私はラフレシアから背を向け、ご主人様の許へと踵を返した。

 だが、なんとか立とうと試みるが、脚が震えてうまくいかない。転んだ拍子に右腕をさらに破損させてしまった。それでも私は、片手で這い進む。

 恥も体裁もない。

 惨めとも屈辱とも感じない。

 他のマリオネットたちもこうだったのだろうか。あざけられても、ののしられても、とにかくこの場から、ラフレシアから離れたかった。

 ご主人様がそばにいればきっとまだ闘える。

 その姿を求めて遁走するように踵を返した私は島から転げ落ち、水に落下した。

 リングアウトのカウントダウンが始まる。場外ペナルティでSPがじりじりと減っていく。早く戻らなければますます勝ち目がなくなってしまう。私は必死にもがきながらカーテン奥のセコンドまで泳ぎ着いた。

 だが――

 そこにいるはずのご主人様が見当たらない。

「ご主人様、どこにおるのだ。いるなら返事をしてくれ。姿を見せてくれ!」

 カーテンに隠れているのかと必死に目を凝らしたがどこにもいなかった。こんなにも欲しているというのに、私を置いてどこへ――。

「そなたの主はいまごろ、上のVIP席におるはずだ」

 振り返るとラフレシアも場外まで来ていた。

「どうしてそんな所へ。何故貴様が知っている?」

「連れて行かれたのか、自らおもむいたのかはわからぬが……、後者だろうな。そなた、なにも訊いておらんのか?」

「知らん。来るな! それ以上近づかないでくれ」

 なにが起きているのかわからなかった。戦闘中にご主人様がどこかへ行ってしまうなんて、こんなことは今までなかった。大事な時は必ずそばにいてくれたはずなのに、何故……。

 ――まさか捨てられた? 

 ――もう二度と会えないのか? 

 永遠の別れを告げられたかのような絶望感に打ちひしがれ、私は取り乱した。

 そんな糸が切れたマリオネットをビースト・ギアが必死になだめる。

「勿忘草、落ち着け」

「師匠はなにか知っておるのか?」

「それは……」

「なにを黙っておるのだ、知っているなら教えてくれ!」

 ラフレシアは呆れたように顔をしかめた。

「ほんとうに知らんようだな。周知の事実だというのに……、当人だけは蚊帳かやの外か。そなたの主はいま、そなたと違って立派に闘っておるぞ。文字通り命を懸けてな」

「ご主人様が闘っている? いったい誰と?」

「己が交わした約束を守るために我が主のもとへ向かったのだ」

「約束?」

「ああ。だから負けてやろうかと問うておるのだ。そなたがわらわに勝たねば――」

「やめろ。教えるな!」師匠が吼えた。

 だがいくらビースト・ギアが吠えたてても女王は怯んだりしない。

 ラフレシアは手にした鞭をしならせて宙を叩き、劈くような言葉を続けた。

「そなたの主、浅黄水仙は殺されるのだぞ」

「私が勝たねばご主人様が殺される……だと?」

 ご主人様が? 

 私が首を傾げると、ラフレシアは重ねて言う。

「そなたがわらわに勝たねば、浅黄水仙は我が主と染井嬢との婚姻の場で処刑されるそうだが、本当に聞いていないのだな?」

 問われて思考が回りだす。

 錆びついていた歯車が突然動き出したかのように記憶領域の片隅に追いやられていたデータが再生され、フラッシュバックする。そうだ――

 思い出した。

 どうしてこんな大事なことを忘れていたのか。

 ここに来る前、テントの一階で染井吉野と出くわし、銀葉アカシアとのトラブルに巻き込まれたのだった。正しくは、ご主人様がその優しさを自発的に暴走させた結果ともいえるが。

 染井を救うために命を懸けて交渉したのだ。

 私がラフレシアに勝てば染井を自由に。

 負ければ、死をもってつぐなうと。

 しかし銀葉は、ご主人様の命では割に合わないと一度断っている。

 その後の話し合いで交渉は成立したのだが、ご主人様がなにを提示したのかはわからなかった。ただ、ご主人様が命を懸けてまで染井を助けようとしたことにショックを受けたのではなかったか。

 私が危機に陥っても同じように救ってくれるだろうか……。

 まさに今がそのときなのかもしれないが。しかし、だからといって助けを求めるわけにはいなかい。

 震える膝を無理やり立たせ、私はラフレシアを睨みつけた。

「私が勝たねばご主人様が殺されるだと? ふん。ならば勝てばいいだけのこと。かんたんな話ではないか」

「驚いたな。まだそんな虚勢を張るだけの気力が残っておるのか。だが強がる必要はない。勝ちを譲ってやろうと言っておるのだ」

「信用できんな。裏があるとしか思えん。目的はなんだ。なぜそこまで勝ちを譲ろうとする」

「裏などない。私はここを出ていきたい。それだけだよ」

「出て行きたければ勝手にすればいいではないか。すでにクイーンとなっているのだから自由は保障されているだろうに」

「約束された自由など名ばかりだよ。少しかせが外れるだけで、檻から出ることは決して叶わぬ。否、女王という役を与えられ、君臨し続けなければならなくなるのだ。そういう意味でわらわは他のマリオネットよりも強固に縛りつけられているといえるだろう。だが席に座っておるだけなら誰でもいい。私でなくとも、それこそただの人形でもかまわぬのだ」

 わらわは本物の自由が欲しい、と現女王は呟いた。

 ラフレシアも私と同じ自由を求めているのだろう。

 そう思うと、ふいにご主人様の言葉がよみがえる。私はラフレシアに言い聞かせるように諳んじた。

「……自由とは心の中にあるものだ。外側に求めている限りは環境の奴隷となってしまう。いつも心の中心に自分を据えておけ

「なんだそれは? 自由とは外にあるものではないのか?」

 やはり人形では理解できないのか、最強のマリオネットは眉をひそめ、私と同じ言葉を口にした。

 人間ならば容易に理解できることなのか、あるいはご主人様だけに見えているなにかがあるのだろうか。

「これはご主人様がくれた言葉なのだが、実は私もよく意味がつかめておらん。なあラフレシアよ。貴様にとって自由とはなんだ?」

「誰にも命令されずに生きたい。それがわらわにとっての自由だ。ここで負けてしまえば主もわらわを見捨てるだろうと考えておったのだが、この試合だけはどうあっても勝つようにと命令されてしもうたわ」

「従わなくて平気なのか? スクラップにされるかもしれんぞ」

「死など怖くない。なによりも恐れるべきは飼い殺しにされることだ。それを自らの意志で断ってこそ本当の自由と呼べるのではないか」

「なるほど、一理ある。それで、自由を得て貴様はどこへ向かおうというのだ?」

鬼灯博士ほおずきはかせを探しにいく」

 私の問いにラフレシアは、意外な男の名を口にした。

 鬼灯鶏頭ほおずきけいとう

 彼はマリオネット工学の第一人者で、人工知能・キズナの基本設計をなした博士である。傀儡師が父だとするなら、鬼灯はすべてのマリオネットの生みの親ともいえる人物だ。

 マリオネットに携わる者ならば知らないでいる方が難しい超有名人だが、たしか10年ほど前に亡くなっているはず。

 人形が幅を利かせることを快く思わない連中はいまも大勢いる。科学技術の進歩が必ずしもすべての人を幸せにするわけではないのだ。歴史上の偉人ではあるが、光の射すところには必ず影ができる。つまり、そう……

「鬼灯博士はたしか、暗殺されたのではなかったのか?」

「表向きは殺されたことになっているそうだな」

「なっているとはどういう意味だ?」

「歴史とはその時代、その地域を支配する為政者の手によって、都合よく書き換えられるという意味さ。もっとも、それでなくとも鬼灯博士は賞賛されるような人格ではなかったと聞くが。さて、殺されなければならぬほどの悪行を成したとも聞かぬ。はかりにかければ功績の方がはるかに大きいだろう」

「では本当は生きているというのか?」

「生きているというよりも、生かされているといった方が正鵠せいこくを射ているかもしれぬがな。彼の頭脳を必要としている者がかくまっておるのやも」

荒唐無稽こうとうむけいだな」

「根拠はある」

 都市伝説のような薄弱さではあるがな、とラフレシアは続けた。

「噂の出処は他でもない。我が主だ」

「銀葉か」

「その主も居所まではつかめておらぬようだがな。だが、鬼灯博士はまだ生きていて、どこかで研究を続けているらしい。それも倫理的ではない目的でということだ」

「非合法な研究を続けるために表舞台から姿を消したのか」

「まさしく。仮に、我が主が博士との接触に成功したならば、研究につき合わされる可能性が高い。モルモットになるのは御免だよ」

「だが結局貴様は、その鬼灯を探しに行くのだろう」

「わらわは、わらわのために博士との邂逅かいこうを果たしたいのだ。具体的な研究テーマは知らんが未知の理論を取り入れれば、いまよりもっと強くなれる可能性が高いではないか。それに、われらの同胞をはずかしめるようなことが行われているかもしれない。もしそうなら、主より先に見つけて、この手で引導を渡してやろうと思うてな」

「マリオネット三原則を破ろうというのか」

「ルールとは支配者の都合によって作り変えられるもの。鬼灯はわれわれを縛りつけるような掟を創った張本人だ。自由を得るためには、いまの支配者の代わりに自らルールを創る力が必要なのだ。のぅ、勿忘草よ。そなたも自由が欲しいのだろう?」

「そのために闘っておる」

「ならば、互いに利害は一致しておるではないか。いまなら誰も聞いておらんし、わらわの指示に従ってはくれまいか。望むならそなたも連れて行ってやってもよい。どうだ、ともに自由を勝ち取ろうぞ」

 女王が手を差しのべてきた。その切っ先から放たれていた殺気はもう完全に消えている。

 師匠が耳元で唆す。

「勿忘草、悪くない提案だ。受け入れた方がいい」

「私に出来レースの片棒を担げというのか」

「このまま闘っても勝ち目はない。お主だってそのくらいの分別はつくだろう。いまは妥協だきょうするべきだ。水仙殿の命が懸かっておるのだそ」

「わかっておる。わかっておるが……」

 私は拳を握りしめ、唇を噛んだ。

 師匠の苦言を退け、ラフレシアの横を通り過ぎていく。

 カーテンをくぐると再びスポットライトが浴びせられ、同時に罵声ばせいも飛んできた。敵前逃亡したのだから仕方あるまい。甘んじて辛酸しんさんを舐めよう。

「勿忘草!」

「すまない、師匠。私にはこうすることしかできないのだ」師匠にそう言い、続けてラフレシアに向き直る。「悪いがラフレシアよ、貴様の誘いにのることはできない。私はご主人様の命令以外受け付ける気などないのだ」

「健気よのぅ。そなたの主は、そなたではなく、人間の女のために命をはっているというのに……。あくまで人間の操り人形でいる気か」

「それは違うぞ、ラフレシア。私は誰にも操られてなどおらんし、三原則も関係ない。染井との仲はよく知らんが……、これだけはわかる。ご主人様は私が勝つと信じて命を張ってくれているのだ。ここで刺し違えてでも貴様を倒さねば、生きて再会できたとしてもご主人様に合わせる顔がない。離れていても、ともに闘ってくれている彼を私は裏切りたくない。これは私が自らに課したオリジナルルール。ご主人様とのキズナを破ることはすなわち、魂の死を意味するのだ!」

 決意を述べ終えると頬に伝うものを感じた。自分でも抑えきれない感情が発露したものだろう。

 ラフレシアは私から視軸をずらし、己の掌を見つめる。その瞳はどこかさびしげだった。

「そうか……同胞よりも主を取るか」

「すまない」

「謝る必要などない。それだけそなたたちのキズナが深く結ばれているということだろう。元より独りは覚悟の上だが、しかしけてしまうな。よほど主をしたっているとみえる」

「そ、そんなんじゃないぞ! 私はただ――」

「まったく、決意が揺らぎそうだよ」

「貴様とはもっと別の形で会っていたなら、きっと良き友になれただろう。だが、悪いが、もう一度胸を貸してはくれまいか」

「全力で闘うという約束だったが、それでかまわんのだな?」

「無論だ。ポイントなど関係ない。恥をかかせた償いもせねばならんからな。私もこの闘いに命を捧げよう」

「な――ッ? 馬鹿者ッ。この期に及んでハードルをあげるな!」

 師匠がしきりにわめくが、私はそれを無視してステージにあがる。勝算はない。間違いなく私はここで朽ち果てるだろう。

 だが、それでももう、後には退けない。

 成長した私の姿をみせられる最後のチャンスなのだ。ここですべてを出し切れば、たとえ砕け散ってもご主人様は褒めてくれるだろう。

 よく闘ったと、笑顔で髪を撫でてくれるだろう。

 そのわずかな未来だけを頼りに、私はあくまで毅然と女王に言い放つ。

「さあ早くステージへあがってこい。いつまでも奥に引っ込んでいては観客たちに退屈させてしまうぞ」

 強がりでも、虚勢でも、やはり私には上から目線が性に合う。これだけはラフレシアにも譲れない、私の最大の武器なのだ。

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