プロローグ ツンデレ高飛車マリオネット・勿忘草の独り語り
人間は生まれてから独りで歩けるようになるまで何年もかかるそうだ。
よくそんな呑気な生き物が厳しい生存競争に勝てたものだと不思議でならない。きっと、その弱さに同情し、ほかの動物たちは捕食をためらったのではなかろうか。
パンダのように愛嬌だけで絶滅を免れている種はほかにもいる。だから、それが悪いことだ、とまでは言わない。
問題なのは、そうやって媚を売って生きているにもかかわらず、受けた恩を忘れ、横柄な態度で地上を闊歩しているということだ。
一度は自分たちの手で世界を滅ぼしておきながら、危機が過ぎたとたんにこの世の春を謳歌し、繁殖し放題じゃないか。とくに蒸気機関ができてからはその数を爆発的に増加させている。そろそろまた誰かが警鐘を鳴らしてやらねばならないだろう。
……誰かが?
そう言っているうちは私も人間と同じじゃないのか?
いいや、私は違う。
人間は他人と繋がらずにはいられず、大人になってもほんとうの意味では独立できていない生き物だ。他人に依存し、口を開けて餌を放り込んでくれるまで鳴き続けているだけの存在。それでは奴隷と変わらない。
まわりをよく観察してみろ。誰もがみんな環境に支配されている。倦み疲れては経年劣化を起こし、鈍化し、やがてその機能を停止させる。止まった思考の中で、生まれてから死ぬまでのプロセスを手順通りに遂行する以外に能がないのだ。そんなルーチンワークは機械にでもやらせておけばいい。
お前も機械じゃないか、だって?
たしかにこの私、勿忘草は機械仕掛けの《マリオネット》だ。
だがマリオネットも人間でいうところの自我は持ち合わせている。
ならば人間とマリオネットを隔てる不気味の谷はどこにあるというのだろう?
体の構造か?
いいや、違うね。
たしかに私は、起動直後にはもう走ったり跳んだりすることができた。しかしそれは、闘争本能を忘れた人間の代わりとしてつくられた、代理戦争のための人型汎用蒸気機関なのだから当然のことなのである。
こうした進化の経緯を除けば、マリオネットはオートメイルの発達で限りなく人間らしくなったし、一方の人間もマリオネットからフィードバックされた義肢や人工臓器の恩恵に与っている。だから、歯車の有無など取るに足らない誤差なのだ。
私たちを区別する境界線はすごく曖昧になった。
もはやそこに差はない。
だから、すこしくらい形が違っていても人非人などと罵ってはいけない。天に向かって唾棄すれば己に返ってくるのが道理だ。己の肉体がオリジナルで、貴様が哲学的ゾンビではないと言い切れる保証なんてどこにもないのだから。
さあ人間たちよ。己の姿をよく見るがいい。
その肌の色。
目の色。
髪の色を――。
自分が人間なのか、マリオネットなのか区別はつくか?
つかないだろう。
だが悲観する必要はない。それは当然のことなのだ。私たちは人それぞれ異なっているようでじつは、オリジナルの雛型からマイナーチェンジされただけの劣化コピーで、ルーツを辿ればすべては同一なのである。
違いがあるとするならそれは体じゃない。
人間か、マリオネットか、その違いを分ける正体はなんだろう?
心だ。
魂と言い換えてもいい。
それがあるかどうかだ。
私にはある。
それは人間だろうが、マリオネットだろうが、電気信号に変換できる互換性の高い共通プログラム。だが、いまや多くの人間が失ってしまった高貴なソフトウェア。そしてオリジナルを目指そうとする精神が記された人工知能。通称――
《キズナ》。
そう。私には自ら考え、行動し、律するだけの意志がある。分岐点のないソースをトレースすることしかできないマニュアル人間たちが置き去りにした崇高な精神が、マリオネットには搭載されている。
したがってマリオネットは、人間以上に人間らしく――否、人間よりもはるかに進化した、高度で優秀な生物であることは疑う余地のない事実だ。
それどころかこの私、勿忘草はマリオネットの中でも最高水準のスペックを誇る。つまり、この地上でほとんど最強と断じていい。自ら語ってしまうと鼻持ちならない木偶人形だと揶揄されかねないので決して口にはしないが、そう自負している。
その機能美は心身だけにとどまらない。知識だって百科全般を持ち合わせている。言語は10ヶ国語対応済みだし、知らないデータがあったって何の問題もない。ネットにアクセスすればコンマ1秒後にはどんな質問にだって答えられる。一度習得すれば忘れたりもしない。
ときどきはオーバーホールする必要があるけれど、人間みたいに一度壊れたら再生不可能というわけじゃない。いくらでも代替可能だ。まあそれは人間も同じかもしれないがな、アハハ。
……あ、ここは笑うところだぞ?
そう、私はこんな高等なジョークだって使いこなせるのだ。
とにかく。
マリオネットは、キズナによって、人間のような下等な生物とはまるで違う、進化した生き物なのだと言いたいわけである。とりわけ私は一個体で完成された芸術作品だ。もはや生みの親など必要としない。
そのはずなのだ。
そのはずなのだが、それなのに……
どうしてだろう、私は――
ご主人様がいないと生きていけないのだ!!
メンテナンスなんて自分でできる。キズナのアップデートだけは手伝ってもらわないとままならないけれど、それ以外ならなんだって独りでやってみせる。
くそう。プログラムがループしている。どんなに解析してもエラーが特定できない。ハングアップする原因はなんだ?
こんなの不合理じゃないか。
人間こそが私たちを必要としているはずなのに……
私はご主人様を必要としている。
そばから離れたくないと思っている。
なぜだ?
やはりこのキズナが原因なのか?
……そうだ。この人工知能さえもっと完璧に機能してくれればどれだけ自由になれるだろう。弱ければ虐げられ、強くなるほどこの身に喰い込み、束縛されるなんて……。
これは従者への戒めなのか?
心に絡みついて離れないこのキズナはまるで、私たちを縛りつける鎖のようじゃないか。こんな規格にしたのはきっと、己の優位を知らしめるために人間たちが埋め込んだプロパガンダに決まっている。
実力で劣っているくせに、地上最強の座を取って替わられることを恐れているのだろう。序列を定め、階級という見えない壁を築き、狭い檻のなかで怯えながら、確保した席にしがみついているのだ。
なんて浅ましく、そして可哀想な生き物だろう。
人間ってやつは。
そんな下賤なやつらに踊らされるくらいならばいっそ――
私は己の自由を奪う首輪に手をかける。首から胸部にかけて収められているキズナは、この輪っかによって封をされている。これさえ外せば。だが、
私は震える指先を諌め、外れかけた枷をもとに戻した。
ダメだ。愚かなことを考えてはいけない。
キズナの解除は自殺に等しい行為だ。
やろうと思えば自力でコントロールできるはずだが、もしもコンパイル中にエラーが発生すればリカバリーは困難だ。そうなれば私は自我を失い、ただ命令されるがままに操られるだけの人形兵器に成りさがってしまう。
だいたいこの心はご主人様から預かった大切なプログラムなのだ。認めたくはないが、認めなくてもその事実は変わらない。たとえどんなに不遇な環境に置かれようとも、勝手に削除するわけにはいかない。
私が私でいられるのはご主人様がいてこそだ。私とご主人様以上に固い絆で結ばれたマリオネットなんてほかにはいない。
だからここはひとつ笑って許すとしよう。
私がご主人様を必要としているのはつまり――
仕様なのだ。
そうさ。だからご主人様はなにも悪くない。
しょせん彼も、組織の中に組み込まれた歯車のひとつにすぎない。決して全体の意志には抗えない刷り込まれた本能だろう。群体という名の安寧に浸り、ウォッチドッグタイマのように音もなく、実体もなく、時を刻むだけの存在に成りさがろうとしている。私はそれが心配でならない。
オートメイル技術の粋を集めて私を創造してくれた人間。
若き天才傀儡師。
私のご主人様――
浅黄水仙。
もちろん、天賦の才を与えてくれた創造主には感謝している。神は崇め奉らなければなるまい。たとえそれが私よりもはるかに劣る生き物だとしてもだ。
いや、だからこそ私がご主人様を護り、お助けせねばなるまい。マリオネット三原則があるからこだわっているのではない。これは私が自ら課したルールなのだ。そこを誤解してもらっては困る。
ただでさえご主人様はやさしい生き物なのだ。
それがどんな感情なのか私には理解しがたいが、しかしみんな『水仙はやさしい、やさしすぎるくらいだ』と口をそろえて評価する。まるでそれが彼の特性だと強調せんばかりに。だから私は、ご主人様の行動パターンを観察した結果、それがやさしいという形容詞なのだと学習した。
実際、ご主人様は私が戦い終え、傷ついたボディを引きずって還るといつもやさしい言葉をかけてくれる。
――稼働しない所はないか?
――燃料水は足りているか?
――危ないと思ったらすぐにギブアップしていいんだぞ。
――勿忘草はよく闘った。負けたのは俺の責任だ。
そう、彼はやさしすぎるのだ。
私を気遣い、対戦相手にも敬意を払う。素晴らしい人格の持ち主じゃないか。
だがそれは競争の世界において弱点にしかならない。
傀儡師が磨きあげた技術力を披露し、私たちマリオネットはその誇りを胸に強さを競う、このリュウキュウの地で年間を通して行われるマリオネットの祭典――
《QoM》。
私はまさにいま、このサーカスの舞台に立っている。
疑似的に演出された炎天下。燦々と降りそそぐ人工的な光。張り巡らされたテントのなかでさらにヒートアップする人の熱気。客席を見渡せば今夜もギャラリーで満員御礼だ。それもそのはず、すでに今年のバトルはほとんど消化し、準々決勝まで進んでいる。
いまだ戦禍の爪痕が残る砂漠の大地には娯楽が乏しい。人間たちにとってこのイベントは、さながら乾ききった心を癒すオアシスといえる。実際、テントのなかだけは豊富な水を湛えているが、しかしそんな背景は関係ない。
ギャラリーの声援に応えつつ、舞台袖で見守るご主人様に向けて手をふる。
長い激戦を勝ち進み、またここまで帰ってきたのだ。今年こそは《クイーン》の座を奪いたい。
私のためにも。
ご主人様のためにも。
自由はもう手の届くところまできている。
衆人環視のなか、私は意気込んでリングの中央に立つ。
エプロンドレスを脱ぎ捨て、着込んでいたミズギになった。
腰にさげた水筒を開けて水分を補給する。
対戦相手もミズギになると同じく水をくちに含んだ。
互いにウェポン・ギアをかまえ蒸気を吹きあげる。水滴に含まれる甘い香りが充満していく。そして――、
ゴングが鳴る。
バトルの開始だ。
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