【文学】帰省【短編1話のみ】

帰省 オリジナル小説

「もんてこいよう」

 お盆を迎えると母様は、決まって港に立ってそう云う。

 身を案じてくれるのは有難いが、しかし僕たちの舟を着ける海岸はもう、此処には残されていない。今では貯木場になっていて、帰る者を拒むように防波堤で囲われている。

 陽が沈み、辺りはすでに薄暗い。

 闇のなかで気配がした。

 港に視線を投じてみれば、提灯の仄かな灯りがぼんやりと浮かんでいる。一人ではない。列を成して何人も歩いてくる。先頭を歩く男は面を被っていて、手には『津田の盆踊り』と書かれたのぼりを掲げている。他の男や女があとに続き、さらに子供らがついてくる。みんな同じ着物だ。手には食べ物や鳴り物がある。踊りというからには祭りなのだろうが、しかしこんなうらぶれた場所では見物客など集まるまい。それにどことなく厳かでしんみりとしている。どちらかというと通夜みたいだ。

 一団は港の先端に着くと薪を組み、火を起こした。海から吹きあげる風に煽られ、ぱちぱちと炭が爆ぜる。茫と揺らめく炎の先から細い煙が立ち昇っていく。火が落ち着くと、焚き火の前に米や野菜が並べられた。

 女がひとり進みでて、背負っていた藁人形を添えた。それから海に向かうと何かを叫ぶ。よく通る声だが内容は聞こえない。悲しげな雰囲気ではあった。

 鼓が打たれ、笛が吹かれた。調子に合わせて女が手をあげ、足をあげる。

 うしろで控えていた者たちもそれに続く。みんな同じように踊りはじめ、焚き火を囲んで輪ができた。炎が盛り、影が天に向かって伸びていく。厚い雲に人影が映り、一団の動きにあわせて目まぐるしく形を変えた。

 炎は勢いを増し、いよいよ音は高鳴り、ひとは一層舞い踊る。

 狂喜乱舞とはまさにこのことだ。

 眩暈がした。彼らの様子に見入っていると、視界がぐにゃりと曲がっていく。波に揺られているのか、それとも自身が揺れているのか……船酔いにはもう慣れたはずなのに足許が覚束ない。一定の調子で打ち鳴らされる鉦の音も平衡感覚を狂わせる。どっちが上でどっちが下か。どこまでが海でどこからが地上なのかも判然としない。

 なんだ。

 なんなんだこれは。

 なんなんだ、彼らは。

 ひとか獣かあるいは――化け物か。

 身が震えた。なにか視てはいけないものを見ているのではないか。聴いてはいけないものを聞いているのではないか。ここに留まっているとすべての境界が曖昧になってしまいそうだ。きっとこれから怖ろしいことが起きるに違いない。今すぐ逃げなければ。だが躰がいうことをきいてくれない。思考も定まらない。自分が誰なのか、どこから来てなぜ舟に乗っているのかも思い出せない。

 諦めよう。

 高波に攫われれば身を委ねる以外にないように、人智を超えた存在には抗えない。いずれ帰る場所などありはしないのだ。このまま消えてなくなったってかまわない。観念して目を閉じ、僕はちからを抜いた。

「いけるで?」

 波に揺られるままに倒れたところでうしろから声がした。

 問うたのは兄様だ。

 一緒にいたことを失念していた。

 心配そうに見つめる兄様の手を借り、僕は身を起こす。なんとか踏ん張り、踊り狂う一団に一瞥してから、兄様に問うた。

「あの騒ぎは――彼らはいったい」

「お前、あれ見るんは初めてやったか?」

「はい。もしや狸が化けとんでしょうか」

 金長狸かと兄様は目を丸める。それから、こいつはいいと腹を抱えてガハハと笑った。

「ひどいですよ。そんなに笑わんといてください」

「すまんすまん」兄様は目をこすった。「いや、あれは狸とちゃう。間違いなく人間じゃ」

「こんな夜ふけに、こんな場所で何をやっとんですかね」

「精霊流しじゃ。海に出て帰らんようなったモンを藁人形で見立てて呼び寄せ、踊り出迎えて死者の魂を慰めよんよ」

「あんなんで死者が浮かばれるんですか」

「どうじゃろな。癒しを求めとるんは生きとる方やし」

「どういうことです?」

「化け狸もそうじゃが、そもそも死者なんてこの世におると思うか?」

「まあ……亡くなっとるんですから、おらんのでしょうね」

「ほうじゃ。そいで死人は二度と生き返らん。それがこの世の理じゃ。ほんなんはきっと、彼らもわかっとるじゃろう」

「なら、彼らのしとることは無意味なんですか」

「ほうでもない。なんでかいうと人間は――」

 物語を必要とるけんな、と兄様は言った。

 それこそ化け狸がほくそ笑むようにニヤリと口の端をあげている。

「死んだモンはもう、この世にゃ存在せん。代わりに現れるんは、生きとってほしいと願うモンの頭んなかに浮かぶ幻――まさしく亡霊やな。人はそれを死者と呼び、ときに精霊と称し、魂なんぞとのたまう。けどいずれも形は無い。ただの概念、イメージじゃ。ほなけど言葉は――とりわけ名前は、生前の姿を想起させる。マメで固ァなった手の質感も、魚の生臭さが染みついた髪のにおいも、ぜぇんぶ頭んなかでなら再現できる。精神の世界は、外側の世界と違って自由なんよ。物理的な法則を無視して、過去に戻ることも未来に想いを馳せることもできる。そして――死者を黄泉返らせることも可能っちゅうわけじゃな」

「つまり死者は言葉によって、生きとるモンの想像――物語のなかで復活するというわけですか。それって生き返ったと言えるんですか」

「なるんよ。物語のなかでな」

「作り話やないですか」

「ほうや。ほなけど、信じとうモンの頭のなかでは、像が結ばれた瞬間にはもう物語と現実の境界線はない。彼岸と此岸の区別なんてつかん。そいつにとっては目に映るものがすべてであり、死者との邂逅という物語を成就させるために行う儀式こそが――

 精霊流しなんよと兄様は結んだ。

 帰らぬ人を呼び寄せるために、常識や理を覆そうというのか。それはまともな神経ではない気がするし、普通とも思える。大切な人との別れはそうかんたんに忘れられるものではない。普段は狂気を飼い馴らしていても、暗い水底のわずかな隙間から湧きでる泡のように、すこしずつ漏れては浮かんでくるものだ。それをああして踊って叫んで発散させているのだろう。

「それで、彼らの願いは叶ったんでしょうか」

「さて、あの人らの目にはなにが映っとることやら」兄様は首を振った。「彼らの願いとわいらは無関係じゃ。言霊いうんは、その人が想う人にしか届かん。けどほら、見てみぃ。霊が帰っていくぞ」

 半身を翻して港を見れば、女が人形を海に流すところだった。

 霊を視ろと言われても僕にはそれ以外に何も見えない。

 女は塩をまき、また何かを叫んだ。他の者も同じように叫んでいるが、やはり内容は聞き取れない。藁でできた魂の入れ物が波にのまれると、湿り気を帯びた空気が風に流されていく。雲が切れ、月が顔をのぞかせた。闇が途切れ、この世ならざる者の気配が失せる。彼らは無事に黄泉へ還ったのだろうか。

 なんだか無性に叫びたくなった。

 だけど、僕の声はきっと、だれにも届かないだろう。しょせん無関係の人間だからだ。彼らにとって僕は、物語の主要人物ではない。

「物語を創ってまで登場させたご先祖様だというのに、なぜまた送りだすんでしょうか」僕は兄様に問うた。

「心の底では信じてないけんちゃうか。フィクションやとわかっとるんよ、彼らも」

「悲しいふりを――演技をしとるいうんですか」

「貧しい時代の最中、危険を承知で、それでも漁に出んと家族を養うことができんかった。無事に帰ってこられりゃええが、自然を相手に人間ができることなんぞ高が知れとる。報われんかった命には、折に触れてこうやって手ェ合わせて、念仏唱えて踊り明かしてやるくらいが精いっぱいだったんじゃろう。本気で死者との再会を望むモンなんてどれほどおったことか……」

「そんな」

「まあ儀式いうもんははじめこそ意味を持っとったんやろうけど、時が経つにつれて風化、あるいは形骸化するもんなんよ。津田の盆踊りは阿波踊りの原形になったとも聞くしなあ。今ではたんなる祭りか、よくて文化財じゃ」

「人の命より経済活動が優先されとるんですね」

 いや、亡くなった者よりも、というべきか。

「なんか虚しいなりますね」

「それでも生きとれば腹が減る。成さねばならんこともある。いつまでも涙にくれて過去という名の物語に浸っとるわけにはいかんやろ。死んだモンより生きとうモン、そしてこれから生まれてくるモンを優先せんと。そうやろ?」

 たしかに、二度と戻らぬ過去とはどこかで決別しなければいつか立ちいかなくなるだろう。

「暗あて冷たい水のなかで息もできずに独りで沈んでいく。その悲痛を訴えたくとも、無念を叫びたくとも、死者は何も語ることができん。語れるのは生きとうモンだけや。ほなけん時々ああして迎えてやって、思い出してやることに意味はある。生きとうモンが文化として受け継ぎ、語り継いでやれば、亡くなったモンは人々の記憶のなかで生きていけるじゃろ。ほなけど、伝統が途絶えて人々の記憶から完全に忘れられた時、死者は完全な死を遂げるんじゃろうなあ」

 兄様は空を仰ぎながらそう呟いた。その先に誰かいるかのように見上げている。

 だけど、やはり僕の目には何も映らない。

 急に静かになった。

 どうやら精霊流しが終わったらしい。

 長く叫んでいたようだが、一団は一様にくちをつぐむと、海に背を向けた。火を消し、路に塩をまく。それが彼岸との境界線なのだろう、塩をまたぐと一団は振り返ることなく港をあとにした。

「ほな、わいらもそろそろ行こか」

 静寂を打ち破ると、兄様は僕の前に出て、へさきに立つ。かいを器用に操りゆっくりと舟を反転させていく。防波堤を蹴ると舟がぎしぎしと軋み、岸から離れた。

「待ってください、兄様」僕は兄様の腕を掴んだ。「せめて、せめて母様に一言だけでも別れを」

「なに寝ぼけたこと云うとんじゃ」兄様は眉をひそめた。「母様はとっくに亡くなっとるやないか。父様が海から戻らんようになってからすぐじゃっただろ、自ら入水したんは。憶えとらんのか?」

「いや、そんな――」

 僕は港を見た。

 そこには手を合わせて必死に拝む母の姿がある。

「兄様には見えとらんのですか?」

「何がじゃ? わいには何も見えんぞ」

「そんな。なら、あそこにいるのは」

 誰だ。

 母様だ。

 間違いない。ならばあれは――

 幻か。

 いや、記憶か。

 誰の? 

 決まっている。

「もんてこいよう」

 母様がそう言った。

 母様のその言葉は僕たちに向けられたものではない。

 こちらを向いてさえいない。

 母様は。

 母様はずっとあそこで父様の帰りを待っているのだ。

 あの日の、あの姿のまま、母様はあそこで。

 海に向かって必死に叫ぶ母様。

 その泣き顔を見るのは、溺れたときよりもずっと苦しい。

 もう思い出すのはよそう。

 そう思うのだけれど。

 忘れたいのか。憶えていたいのか。

 相反する感情が波のように引いては満ちてを繰り返す。

 今年もまた、形だけの夏が過ぎていく。

 兄様が櫂を漕いだ。舟が港から離れていく。

 深い深い水底へと沈んでいく。

 浮かばれない。

 救われない。

 嗚呼そうか。僕ももう――。

 物語が終わらない。

 来年もまた同じことを繰り返すのだろうか。

 わからない。

 僕を呼び覚ます者は誰だ。

 もう僕を呼ぶのはやめてくれ。

 深い記憶の底に沈みながら、僕は永遠の安息を願った。

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